桂雀太 インタビュー

「 入門20年経ってやっぱりすごい楽しいですね、今 」

  • インタビュー・編集:藤井崇史
    撮影:佐藤浩

公開日:

桂雀太

桂雀太(かつらじゃくた)

1977年奈良県五條市生まれ。
関西大学法学部卒業後、2002年5月、桂雀三郎に入門。
同年7月大阪トリイホール「雀三郎みなみ亭」にて初舞台。
「子ほめ」を披露。
2005年5月より定期的に収録したネットラジオ番組「ネットでじゃくっ たれ」の無料配信を開始。
古典落語を中心に、「代書」「遊山船」「替り目」など滑稽噺から、「ねずみ」「夢の革財布」など、人情噺まで幅広く演じ、天満天神繁昌亭、動楽亭をはじめとした寄席以外でも、カフェ、ライブハウスなど様々な場所で落語会を開催。
2006年から「桂雀太ひとり会」於・千日前トリイホール、2011年から「桂雀太独演会」於・天満天神繁昌亭を毎年開催し全て満員御礼の大盛況。

桂雀太のグッドタイミング

いこうかな? やめとこうかな? のせめぎ合い

2022年で芸歴20年を迎えられました。入門前のお話から伺います。
学生の頃にダウンタウンに憧れて、一度はお笑い芸人になりたいと思った時期もあったみたいですが、そちらに進まなかったのはなぜですか?

桂雀太

なんやろ、なろうと思う一歩が出なかったからですね。

同じ頃に「パペポTV」(鶴瓶上岡パペポTV) の追っかけもされていたんですよね?

桂雀太

毎週番組の公開収録があって、それを観に行ってたんです。
大阪だけでなく、広島であった収録にも行ったりしましたね。

落語家になって、鶴瓶さんに初めてお会いされた時はどう思いましたか?

桂雀太

そらもう「うわぁっ! 、鶴瓶やっ! 、パペポやっ!」って(笑)。

桂雀太

「パペポTV」の影響が後のネットラジオ「ネットでじゃくったれ!」につながる感じですか?

桂雀太

そうですね。
パペポとか、「放送室」(松本人志の放送室) 、「誠のサイキック青年団」とかも好きやったんで、そういうのが下地にあったんだと思います。

入門3年目の2005年5月から「ネットでじゃくったれ!」を始められたきっかけは?

桂雀太

「ネットでじゃくったれ!」を一緒にやっている今井さん (落語作家・コピーライター) とほぼ同期なんです。
初めて会った打ち上げの席で意気投合したり、自分の知り合いのアホな奴を紹介し合う「あほの会」をやったりして距離が近くなっていって、ポッドキャスト (インターネットラジオ) が出てきた頃で、「これやりません? やりましょう!」ってやり始めました。

桂雀太

雀三郎師匠に入門を申し込んだタイミングが悪く弟子入りを断られてから、一年半後に入門となりました。
若い頃の一年半だととても長く感じると思うんですが、どのようにその期間はモチベーションを保たれましたか?

桂雀太

やっぱり入門て根性いるんですよ。
どうしようかな? やっていけるかな? 俺みたいなもんが。
でもやりたいしな。
これの繰り返しで葛藤ですわ。
言うたら告白するみたいなもんですから。

一度目の入門に行った時はどんな状況だったんですか?

桂雀太

千日前にあったトリイホールで出待ちをして、いざ行こうとしたら、今から打ち上げで後援会の人がいっぱいいて、「えっ!? こんなおんの? 一人で出て来るんちゃうの?」って(笑)。
躊躇してるうちに打ち上げ会場に行かれて、そこから2時間くらい待って出て来られて。
その時でも、まだ4人ぐらいいてはって、また違う店に入って行かれて。
「あかん、全然言われへんやん」って。

桂雀太

その状況なら躊躇してしまいますよね。

桂雀太

もう時間も夜中の1時とかで、あんだけ飲んではったら「これは水いるんちゃうか」と思って、ペットボトルの水を5本買って来て用意して。
終わって出て来はって、もうベロベロや。
その時に、師匠の連れの方がコケはって、なんや知らんけど「今やーっ!」思ってバーって行って、「すいません、こんな時になんなんですけど、落語家になりたいんです。弟子にしてもらえませんか?」って言って。

もうここしかないってなったんですね。

桂雀太

そこで師匠から、「ああ、そうですか。けど今、新しい弟子取ったばっかりやから、二人いっぺんには無理や」と。
「今すぐなりたいんやったら、よそ行きはった方がええんとちゃいまっか」と割と冷静に言われて。それでも、「そこをなんとか師匠の元でやりたいんです」と言うと、「いや、二人は無理やわ」ってはっきり断られて。分かりました。
良かったらこの水飲んでくださいって手渡して。
そこから一年半ですね。

一年後にもう一回行こうとはならなかったんですか?

桂雀太

ハッキリとした理由も言われたし、何度もしつこく行こうっていうのがその時はなくて。
自分の中で、いこうかな? やめとこうかな? のせめぎ合いでフワフワしてましたね。

桂雀太

一度入門を断られてからは、雀三郎師匠の落語会にも行かなかったんですか?

桂雀太

断られたから、ちょっと足が遠のきましたね。
それでもやっぱりもう一回行こうと思って、今度は師匠の家に行ったんです。
すると、娘さん伝てに今度楽屋に来てって言われて。それから後日、楽屋口で待ち合わせして、師匠と雀五郎兄さんと僕の三人で近所のお蕎麦屋さんに行きました。実は一年程前に入門の志願に行かせてもらったんですと伝えたら、「おぉ、君か、覚えてるわ」と。
「ビックリしたがな! 夜中にお前みたいなデッカい奴が来て。ほんで水もろたけどな、どこの誰か知らん奴からもろた水なんか飲むわけないからな」って(笑)。

ははは(笑)。

桂雀太

なるほど、そらせやなって(笑)。
それで、「弟子に取るかどうかは分からへんけども、落語はやったことあるんか?」って言われて。
全然やったことないんですって言うたら、「ほなひとつ教えたろか」って。
それから師匠の家に通うようになりました。
一ヶ月ぐらいかけて「子ほめ」を教わって、これで子ほめは終わりや、まだ来るか? と。
またしばらく通ってるうちに、見習い期間を始めるから、「雀太」でいくわって名前いただいて。
そこから正式に入門させてもらって、修行期間が始まりました。

今自分がどういう感じなのかは常に意識してやってますね。

桂雀太

「上方落語若手噺家グランプリ2015 決勝戦」前でのインタビューでは、米朝師匠が亡くなった(2015年3月)ことを機に、自分を見つめ直すことがあった答えられてます。
その時が入門13年目。

桂雀太

この20年を振り返ってみると、7年目ぐらいで一回休んでいるんです。
入門前から双極性障害 (躁鬱病) があって、躁でバコーンって思いっきり上がった時が、「この地球は俺が救わなあかん」みたいに思って、本気で(笑)。

(笑)。

桂雀太

どうやらそういう病気やと。
上がったのはその時が一番大きくて、後は落ちていくばっかりなんですけど、7年目ぐらいの時にめちゃくちゃ落ちて、師匠にもう無理なんで「休んでいいですか?」と。
そしたら「休んだらええやん、誰も休んだらあかんなんか言うてない」って。
それで「ほんまや」と思って。どこか遠くへ行きたいと思って、北海道の礼文島に行ったんですけど、ホテルでリゾートバイトしてたら、休みに来たのに余計に疲れてしまって、大阪に帰って1ヶ月ぐらい入院しました。師匠もありがたいです。
(桂)枝雀師匠がそういう病で悩んではったけど、俺は分からんと。
そんなことなったことないから。でも、そういう症状があるというのは分かるから、休んだらええとかね。勝手に休んだらあかんもんやと思てましたから。

桂雀太

それからの7年で同じような、自分を大きく変える出来事はありましたか?

桂雀太

7年目の時は薬で回復して、そうこうしている内にまた落ちてきて、また薬飲んでて。
結局15年ぐらいずーっと薬飲んでるのに治らへん、これなんやねんと。
これなら16年飲んでもあかんのとちゃうかと思って。
それで、他のやり方を探そうってなって「瞑想」に出会うんです。
それを教えてくれる方がいて、衝撃的なことが、不安に思ったり、ストレスに感じていることって、100%自分のせいですよって。

苦しいのに、そんなこと言われたらって感じですよね。

桂雀太

それを聞いた時は、いやいやそんなことないでしょって思いましたけど、よくよく考えるとそうかなと。
つまり、こういう時はこうあるべきであるという価値観が自分の中にあるから、それとは違うことが起こると引っかっかてくると。
だから、自分の中にある価値観を手放せば全く引っかからないんですよ。
それで「ホンマや!」ってなって。
だからこの価値観にさよならすれば楽になれますよっていう仕組みなんですけど。
これが中々難しくて。

それこそ、雀太さんが過去のインタビューで答えられた、世阿弥ぜあみの言葉「離見の見りけんのけん」ですよね。
離見の見:世阿弥の能楽論で、演者が、自分をはなれ観客の立場で自分の姿を見ること。
自分の演技について客観的な視点をもつことをいう。

桂雀太

そうですね。
自分で自分を観察するっていう。
だから、自分を見つめ直す一つの要因が米朝師匠の亡くなったことでもあるし、色んな要因があると思うんですけど、そういうタイミングで瞑想に出会ったことですね。
その二つが要因としては大きかったですね。

雀太さんは世阿弥の言葉を引用されたり、よくご存知だというイメージなんですが。
世阿弥:日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。
父の観阿弥とともに猿楽を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。

桂雀太

世阿弥についてはそんなに知らないんです、完全にあの部分だけです。
「風姿花伝」(世阿弥が記した能の理論書)は読みましたけど。
「離見の見」という言葉をまず知って、舞台で自分が落語をやっている、そのやっている自分を見る自分がいる。
なるほど、これは瞑想とめちゃくちゃ合っているなと。
「NHK新人落語大賞」の決勝戦の時も楽屋でずっと瞑想していたのを覚えてますね。

桂雀太

2015年のインタビュー時でも答えられてますが、「離見の見」は今も目指されていますか?

桂雀太

「離見の見」を目指しているのは今もそれは意識していて、「離見の見」というキーワードを意識しているんじゃなくて、今自分がどういう感じなのかは常に意識してやってますね。

そういう世阿弥の言葉からの影響で、学校寄席の中で話されたコウモリの体験談エピソードにもつながるわけですか?

桂雀太

そうですね。
「遠目に見えてコウモリの死骸を怖がって放置し続けてきたが、意を決して近づいたら雑巾だった。人間も同じこと、他人のことは決めつけず、積極的に話しかけよう」という。
これ学校寄席だから雑巾と言いましたが、ほんまは肩パットやったんです(笑)。

肩パットですか(笑)。

桂雀太

小学生に肩パットって言っても分からないので。
ほんまに肩パットが落ちてて、はっさくの木の下に。
初見で「コウモリ死んでるで」って思ったらもうコウモリや。
だから、そこの場所を通るたびにコウモリやと思ってて、ある時、自分の子供が「パパ見に行って」って言って。
それで近づいて行ってよう見たら、これ肩パットやないかって(笑)。

そこからの発想で人にも当てはめるというのはよく思い付きましたね。

桂雀太

僕ね、割とこじつけるの上手いんです(笑)。
壁を無くすというか、これとこれを組み合わせるとおもしろいんちゃうかとか、なんか共通項を探す作業が得意なのかなと思います。

全てグッドタイミング

桂雀太

今年(2022年)の2月に制作チームと半年の時間をかけて作られたホームページが公開されました。
「桂雀太のグッドタイミング」がタイトルですが、グッドタイミングという言葉を入れられた理由は?

桂雀太

これは「世の中、全部グッドタイミングで進んでいる」ということをある人から聞いたんですよ。
僕にメンター (助言・相談者) みたいな人がいて、その人が常に言ってることで、偶然なんてひとつもない。
良いことも悪いことも必然で、そのタイミングでやって来る。
だから「全てグッドタイミング」なんやと。
嫌なことが起こっても、それに対する解釈次第で良いことになるかも分からない。

解釈次第でプラスの要素になると。

桂雀太

例えば、すごいストレスかかることがあって、なんでこんなストレス感じんねん、このストレスを解消したい、どうにかしてしたいって思ったから、瞑想に出会ったわけで。
だから、そのことがなかったら、出会ってなかったかもしれませんし。
全ての因果律、これがあるからこれがあるという、原因と結果があって、その結果が原因になって、また結果が生まれて。
それがこうチェーンの様にずーっと繋がっている。
それを言葉で説明されたら普通分かると思うんです。
でも、その理解度のレベルが、すごい深いレベルで分かったから、ホームページのタイトルにもグッドタイミングにしましたし、Tシャツも作りましたしっていう感じですね。

直感で生きていく

桂雀太

行政書士の資格は大学生の頃に取得されてますが、今になってなぜ開業しようと思われたんですか?

桂雀太

落語で「代書」やるし、行政書士の資格は持っているけど、こんなんなんの役にも立たんと思ってたんですけど、でも、一応持ってると。
コロナ禍になって、仕事が無くなって暇になって、これシャレでほんまもんの「代書屋」になったらおもろいんちゃうかと。

本当になられたんですよね?

桂雀太

(2022年)10月末に行政書士登録の交付式行って来ました。

行政書士以外にも今後やりたいことはありますか?

桂雀太

寄席小屋を持ちたいですね。
ビルなのか他の建物なのかはまだ分からないですけど、ビルだったら、寄席小屋を最上階にして、すぐ下に待合のカフェみたいなんを作って、夜も営業できるように。
それで、一番下を子ども食堂にして。
落語に限らずライブが出来る様なスペースも作って。
そこに行政書士事務所も作って。
宅建 (宅地建物取引士) も持ってるので、不動産屋もやって(笑)。
これはもう実現させたいなと思ってます。

桂雀太

そう思い始めたきっかけは?

桂雀太

感覚が自分と対話することによって、結局、子ども心を取り戻しつつある感じですね。
子どもが二人いるんですけど、やっぱり子どもって理由がないんです、何をするにしても。
もう、それがやりたいだけやから。
理由なんかなくて直感で動いてる。

無邪気ですよね。

桂雀太

結局、大人ってパッと直感でイメージできるじゃないですか。
こんなんやりたい。
でもなぁ……って、色々天秤に掛けるんですよ。
こんなことやったら、こんな人にこんなこと言われるかなとか、まだこんなキャリアやし、まだ早いかなとか。
そういうのが浮かんでくるでしょ。
それで、段々面倒くさくなって辞めとこってなるのが普通やと思うんですけど。

そうですね。

桂雀太

でもそれってもったいないっていうか、やっぱり直感て自分が一番やりたいことなんですよ。
パッと思い浮かぶことっていうのは。
「直感で生きていく」というのを大事に生きていこかなと、これからは。
今まで色々あったから。

桂雀太

それはやっぱり瞑想とかが大きいってことですか?

桂雀太

めちゃくちゃ大きいですね。
だから、落語もめっちゃ変わりましたし、やっぱり「今」に集中できるようになったんですよ。
例えば、以前やったら落語やりながら、「あの人、昨日も来てくれてたな」とか。
「うわ、また同じネタやってる、なんか思ってないかな」とか。

雑念が入っていたということですね。

桂雀太

もう入りまくってたんですよ。
それはつまり、エゴ (自分本位) ですよね。
自分の我欲が、こういう風に思われたい、悪く思われたくない、評価されたい。

それは誰もが思っていることですよね?

桂雀太

普通あると思うんですけど、子どもってそれが無いんですよ。
小さいうちは。
周りの目を気にするとか全然ないじゃないですか。もう最強やなって思って。だから、今までの人生で色々こびり付いてた自分の潜在意識の中にある不要な価値観、それが段々取れてきましたので、すごい軽くなってきているんですよ。
まだまだ修行半ばなんで、ありますけど、入門20年経ってやっぱりすごい楽しいですね、今。

今では噛んでもええやん。

桂雀太

そこに気付けたのが大きいということですね。

桂雀太

そうなんですよ。
だから、鬱病でめちゃめちゃ困ってたんですけど、今までやったら、お客さんを呼べる人数が多ければいいんだとかね。
そういう価値観でいたんですけど、それなりにお客さんは来てくれてましたが、なんか無理してたんですね。
それが、もうエエわと。
もう自分のやりたいようにやるでって割と深いレベルで思った時から、勝手にチケットが売れるみたいな感じにはなりましたね。

心が開放されたんですね。

桂雀太

昔やったら落語中にこうやらなあかんみたいな固定概念がすごくあったから、例えば、噛んでしもた。
二回連続で噛んでしもたっていう雑念が入ると、もう今に集中できないです。
それが、今では噛んでもええやんと。

受け止めれるようになったわけですね。

桂雀太

噛んではいけないって価値観があるから、やってもうた感が芽生えるわけですよ。
噛んだことに対して事実は事実として、そのまま受け止めますと。
それに対して反応しませんってできる様になってきたんです。
お客さんの反応にもあんまり反応しなくなりましたし。
ここは絶対ウケるとこやのに、ウケへんかったら、ヤバいってなって、もう集中力が途切れるんですよ。でも、どういう反応であろうと、そういう反応ですねと素直に受け止められる様になったので、とても楽です。芸歴20年でいい感じに土台ができて、だんだん角がとれてきて、身軽になりつつあります。
これからの桂雀太、ますます楽しんでもらえると思いますよ。
いや、自分でも自分の今後が楽しみです!
この男、何を考えつくやらわからんから。

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