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三遊亭萬橘インタビュー

「 噺家っていうのは非常に単純な生き物なんです 」

  • インタビュー・編集:藤井崇史 / 撮影:坂木亮太
    取材協力:にっぽり館

公開日:

三遊亭萬橘

三遊亭萬橘(さんゆうていまんきつ)

2003年07月 三遊亭圓橘に入門。前座名「橘つき」
2006年10月「きつつき」で二ツ目昇進
2013年03月 真打昇進、四代目「萬橘」襲名

【受賞歴】
2007年 「さがみはら若手落語家選手権」優勝
2009年 「第6回 伝統芸能祭りグランドチャンピオン大会」グランプリ受賞
2012年 「読売杯争奪 激突!二ツ目バトル」優勝
2014〜2017年度連続 「花形演芸大賞」金賞受賞
2016年度「彩の国落語大賞」大賞受賞


三遊亭萬橘 公式ホームページにっぽり館 落語演芸茶屋

動物好きな少年が、学生時代にジブリ映画とボクシングに触れたことによって考え方や価値観が変わる。
落語に行き着くまでの過程や、にっぽり館を始めてからの反応、古典の再構築をされる際の考え方を伺った。
そして、噺家を動物として見た時の生態とは。

僕は動物が好きで、それがずっと仕事になればいいなと思ってました

趣味が「動物園」とありますが、これはお子さんが生まれてからですか?

三遊亭萬橘

これは子どもが生まれる前よりもずっと前からですね。

どんな良さなんですか?

三遊亭萬橘

僕は本当は理系で、それこそ小学校五年生くらいから、ずっと生物学の方にいきたかったんですよ。それが高校三年生の夏休みに、「風の谷のナウシカ」を観て、研究って小さいミクロから段々大きくなっていくというのが、外側から中に入っていくやり方もあるなと思って、文転(理系選択から文系学部を志望すること)しました。

三遊亭萬橘

「風の谷のナウシカ」でそんな衝撃が。

三遊亭萬橘

元々僕が人間嫌いっていうか、人間関係みたいなのは諦めていた部分があって、動物が好きだから、それがずっと仕事になればいいなと思ってました。

今も定期的に動物園は行かれるんですか?

三遊亭萬橘

そうですね、地方に行くと。
僕、道楽があんまりないんですけど、地方に行った時に、その地方でしか経験できないことを必ずしたいという、その欲望だけは強いんです。
それの最初の布石みたいになっているので、地方に行くと動物園を探してますね。

二度の価値観の転換

ボクシングが好きになったきっかけはなんですか?

三遊亭萬橘

16歳の頃に、テレビで「川島郭志 vs ホセ・ルイス・ブエノ」の世界タイトルマッチがあって、その当時、ボクシングを先入観を持って観ていて、映画の「ロッキー」みたいにバーン、ボカーンって人を殴って倒すとなったら後ろに倒すじゃないですか。

ペットボトルが倒れるみたいな。

三遊亭萬橘

そうそう。
でも、川島郭志が11ラウンドにブエノを左フックでダウンさせるんですけど、その時、ブエノがぶるぶるって震えてボトって下に落ちたんです。
画面からパッて消えて。
その時に、「えっ、これ嘘じゃないんだ!」って。
今まで僕が見てた世界っていうのは、むしろ嘘だと。
こっちのが本当だと思ったんですよね。
人間って脳みそが揺れると、下に落っこちるんだって。
これまで二度価値観の転換があって、その一度目が正にこれを観た時ですね。

三遊亭萬橘

では、二度目はどんな時だったんですか?

三遊亭萬橘

大学の落語研究会の頃、(古今亭)志ん生師匠のテープを部室でイヤホンをして聞いていて、演目が「疝気の虫」だったんですけど、志ん生師匠が「わぁー!」って言った時に、頭の中に虫がバババって大量に!その瞬間にイヤホンを「うわぁぁぁ!」ってパッて取って、「なんだこれ!」っていうのがあって、価値観が転換しました。言葉だけでこんなことが出来るんだ!って。

そこまで想像させられたんですね。

三遊亭萬橘

言葉って、ただ情報を伝えるだけだと思っていたのが、それ以上の力があるんだっていうのを初めて経験して、衝撃を受けました。
それまでは、落語は嫌いな方だったので、どっちかというと。
なんでかというと、おじいさんがやることで、勝手におもしろくないみたいなイメージがあったんで。

一般的なイメージはそれに近い気がします。

三遊亭萬橘

19歳の時に牛丼屋でアルバイトしている時に、一緒に入っていた人から、「中村(萬橘の本名:中村彰伸)君みたいなタイプは、落語研究会に入ったらいいんだよ」って言われた時に、カチンと来て、腹が立ったんです。

落語に対して、そういうイメージがあったからですよね。

三遊亭萬橘

でも、落語研究会に入ったら、居心地がすごくいいんですよね。
ある時、夜に一人で部室に居る時に、志ん生師匠のテープを聞いてたら、そういう経験があって、今起きたことと、今自分がいる状況とが、こうガチってハマって。ここに居続ければ、これが出来るかもしれないっていうのがくっついたっていうのはありますね。プレーヤーとしても楽しみっていうのは、ひょっとしたら、ここにものすごい楽しみがあるのかもしれないっていうのは思いました。

この世の中で居心地のいいところを探してたら、落語に行き着いた

地元の先輩方とのインタビューで、落語でしかコミュニケーションがとれないという考えや、落語は自身を形成するものだと思えるのだとおっしゃっていましたが、それは、落語研究会の頃から既にそう思ってましたか? それとも、プロになってからですか?

三遊亭萬橘

それは落語研究会の門を叩いた時に、そのドアを開けて、その空気が充満してると感じたんですね。寝袋に先輩がくるまっていたり。僕がそこで目を覚まさせられたと思ったのは、やっぱり今まで僕の好みは、ずっと探してたわけじゃないけど、心がそうでありたいと思ってたのは、嘘がないとこにいきたいって。
嘘がないところに居心地の良さを感じるってことに気が付いたというか。
そう考えると、ボクシングもそうだったんですけど、やっぱり嘘がないんですよね。

三遊亭萬橘

ここでも同じものを感じたわけですね。

三遊亭萬橘

大学のサークル勧誘って、どこもだいたい「ここおもしろいですよ」って言ってくるんですけど、それに違和感は感じてなくて、そういうもんだと思ってたんです。
でも、いくつかサークルを見て回った後で、落語研究会に行くと、その対比がはっきりしたんですよね。
ここは入って欲しいとも思われてないし、来るなとも言われてないし。
ヘタしたら、入部しなくても来ていいんだって思ったら、ここだ!って。そういう虚飾に対する疲れがあったのかもしれないですね。この世の中で居心地のいいところはどこかないかなって探してたら、そこに行き着いたというような。
探せば、他にあるのかもしれないですけど、ビー玉の玉みたいに、たまたま落っこったって感じですね。

落語家として、世間に落語が価値があるものだと思ってもらいたい

噺家になって20年ですが、落語に対する向き合い方というか考え方って変わりましたか? 初めはこうだったのが、今はこうなったみたいな。

三遊亭萬橘

無我夢中で落語家になった時は、感覚的にはこの世界が一番居心地がいいっていうのは分かってましたけど、この世界にいる為に前座修行をして、二ツ目になって、この世界に居られる喜びを感じられる時期を過ごして、その後、真打になるってなってくると、期待されている事が何なのかと考えるようになりました。

そう変化していったんですね。

三遊亭萬橘

期待されているって言っても10年満たないキャリアだったら、たかがしれてるんですけど、それに答えるにはどうすればいいのかを考えるようになり、世の中の流れと、自分が体感的なギャップとかを考えるようになりました。
そしたら、今まで僕が考えてきた事というのは、大きなスケールで考えると、落語界を水槽と例えるなら、大きな水槽の中だったらこうだったり、海の中だったらどうなのかとか考えるようになり、別に存在としてそれが大きく変わったというより、置く場所を頭の中では変えては来てるとは思ってます。
だから、今のこの「にっぽり館」の活動も、置く場所自体も大海にすると。

大きく考えるようになったわけですね。

三遊亭萬橘

落語家として、世間に落語が価値があるものだと思ってもらいたい欲望があるので、価値があるものとして受け入れられる為に、落語がやるべき事はなんなのかを考えたいっていうのが、今の状況につながっている感じですね。

にっぽり館

演芸小屋「にっぽり館」を始められて(2019年4月オープン)、4年が経ちましたが、手応えとか、始めたことでの周りからの反応とかはどうですか?

三遊亭萬橘

「にっぽり館」について、声を掛けてくれる人と、声を掛けてくれない人が如実にあると思いますし、僕自身も、一落語家として考えるとそれをどういう風に話題に出すかは多分、色々感じるところもあると思うんです。
噺家の行動することとか、選択することは功罪があると思うんでね。

どんな功罪ですか?

三遊亭萬橘

罪の方については、気付いた人は言ってくれてない部分もあると思うんで。
それは両方、否定的には受け取らないようにしてます。
罪があるんだったら、最小限小さくするように努めたいとは思っています。
ただ功としては、やっぱり自分が思っていること、考えていることをそれ以上に体現できたらいいなと思いながら、成功してるかどうかはまだ分からないって感じですね。もちろん、興行形態として月に4回というのは少ないと思いますし。無限にやれるであろうことはあると思うんですけど、やっぱり梁山泊( 豪傑や野心家の集まる場所 )みたいな、水滸伝( 豪傑が集まって、反体制のヒーローになる物語で、その集まる場所が梁山泊 )みたいな、そういう場所になったら最高だなとは思っているので、そこに至るまでにはまだまだそれこそ積み重ねないといけないものをみないとまた落ち込むだけだと思うので(笑)。
そういう感じですね。

三遊亭萬橘

今年(2023年)で落語家生活20年ですが、今後の目標はありますか? これをやりたいとか。

三遊亭萬橘

こういう小屋をやりたいっていうことじゃなくて、この20年だからってことも全然なくて、たまたま今の状況が20年っていうだけで、やりたいことっていうのは、噺は一人でやるもんじゃないってことをお客さんの中に実感として感じてもらいたいってことがやりたいことなんで。目標とか、この時こうなっていたいっていうのは、そんなに持たないですが、おもしろい噺をおもしろいと感じてもらうことが一番ですね。
怪談噺とか、人情噺とか関係なく。
最大限持っている噺の良さをお客さんに伝えられて、その日の自分がやるべき仕事とくっ付いてるというのはほとんどないです。
だから、できたことがないので、言ってみれば、それができる様になるのを目標にして。
できたら、できたで、欠けてる部分っていうのは見つかると思うので。
そしたら、お客さんの愉悦( 楽しみ喜ぶこと )がより良くなるにはって考えたら際限が無いというか。
でも、「今日ここでこのネタじゃなかったな」とか、「なんでそうじゃなったのか?」っていうのは心の健康の為に、今のところ良い方向に働いてますね。

一回自分で泳ぐのは苦しいことだけど、怠らない

萬橘さんは古典落語の再構築が巧いと思うんですが、どう考えて再構築されているんですか?

三遊亭萬橘

噺が生きるか死ぬかっていうのは、時間のズレをいかに無くせるかに近い感じです。それも、一個の要素として。だから感覚としては、最近よくそう思うんですけど、例えば、お客さんを海の中に連れて行くダイビングインストラクターだったとします。
いきなり噺の世界を喋ることで、海の中で、ここにこういう物があるらしいですよ。ここに行ったら、あるらしいですよってやっていくと、実感として、じゃあここより外に何があるの? ってお客さんはずっと思い続けてしまうと思うんです。だから、一回自分で泳ぐんです。
噺の中に入り込んで、それで潜って、流れが強いところは流されないように泳いで、ここは危ないから、どこに捕まったらいいのかを探して見つけたり、小さい生き物でも、珍しい生き物がどこにいるかを探してっていうのを、海の中に潜って一人でやるっていうのは結構苦しい仕事ですよ。

三遊亭萬橘

自分がまず泳ぐ時にはインストラクターがいないわけだからですね。

三遊亭萬橘

一回自分で泳ぐということを怠らないということが、噺をする時には一番大事にしてる部分ですね。だから、噺の中に潜り込むっていうのは、相当きつい仕事で、それをやらないで過ごせたらいいですけど(笑)、お客さんの前でも、それをやってる様に見せたいってことを考えない、それを怠けるってことをしないっていうのが第一義的には、大事にしていることですね。昔で言うと言葉は分からないですけど、例えば、これがすごく刺激が強かった言葉があって、それが潜りの例で言うと、毒のある生き物だったとしても、今これを見つけたところで珍しくない。
水族館に全然いるし、なんだったら飼っている人もいるしってなったら、その隣にいる、「えっ、こんな生き物いたっけ?」っていうやつを探して、「今はこれの方が珍しいかもね」って、なったら、そこを通る時にはそっちのルートを通るイメージですね。

噺の稽古をして目的地を明確にはするものの、高座に上がる時は全て忘れて上がるそうですが、それは、どういう考え方ですか?

三遊亭萬橘

リアルタイムを自分がうまく嘘をつければできると思うんですけど、僕は技術的にそれができないので、一回忘れるってことを努めて、今起きてることですってことをお客さんにメッセージとして伝えるってことですね。リアルタイムで、今ここにいる人がこんなことやっているっていうのが、過去にあったらしいですよっていうことよりも、お客さんの肌感覚として、愉悦が上がるというのは間違いないと思うので、しかも、それに感情が同期できたら、すごく高揚感があると思うので、そこに至る過程をちゃんと踏めるように一回忘れるっていうことを意識しているっていうか。

今を大事にされているんですね。

三遊亭萬橘

この後なんだったっけ? っていうのがもちろん頭の中に生まれることもあるけど、でも喋っていることは今まさにここで目の前でこの人たちが起きてて。
(柳家)小三治師匠の考え方だと、たしかそこをお客さんが覗きに来るっておっしゃっていたと思うんですけど。覗きに来るんだったら、今それが起きてないと覗きには来られないから、リアルタイムですっていうのを意識するっていうのを、忘れるって表現したんです。ヒリヒリするっていうか、次どんなんだろ? って思った方が、落差があって。
落差って作るものなんだと思って、だから例えば、一番大きい物を見せないと、大きいってことが分からないわけじゃなくて、小さいのをポンって出しておいて、大きいの出すと「えっ!」てビックリするっていう。それはやっぱり今まさにリアルタイムでパッ、パッって出されると、「えっ!、えっ!」ってなって。でも後で考えると、そんなに大きい物ではなかったとういうことはよくよくあるというか。
そこに、おもしろさというか、自分の心の中の衝撃ってそういうもんだと思うんですよね。
だから、その楽しみを努めて感じてもらえるにはそうすべきとさせているのであって。
できているかどうかはまた別ですけど、そう考えてますね。

三遊亭萬橘

落語家として、自分の真面目すぎる性格に自信をなくしたこともあったみたいですが、そこから自信を取り戻すことになったきっかけはなんですか?

三遊亭萬橘

それはもう噺家っていうのは非常に単純な生き物といえば、単純なんです。例えば、しなっと萎れちゃっている花を、ちょっと光が当たるとこに出したら元気になるとか、水をやれば元気になるとか、そんなもんなんですよ。
だから、深刻に悩むし、自分がやるべき仕事ってなんなんだろうか? とか、この落語界において自分がやることとか、本当に悩むんですよ。
それはなんでかって言ったら、やっぱり、違う違う違うって言われ続けてるような気がすることを、自分で見つけていかないといけないから。だから、何にも指針がなくなっちゃうことがたまにあるんですよね。でも、それを戻すっていうのは、お客さんの単純な笑い声だったり、自分が思っていることと、お客さんが思っていることが一致してるっていう事実であったりとか。
そういう事が続くか、続かないか、二回続いて、三回目は全然違ったりとかで、また戻っちゃったりするんですけど(笑)。

それの繰り返しですか?

三遊亭萬橘

繰り返しですね。
だから、これが自分の道だ!って、頑強なモノが見つかって、そこに乗っかってという出来事ではないですね。
だから、一個一個積み重ねないといけない物を、それを積み重ねること自体が遅れていってるんじゃないか? とか。
そういうことに対する単純に不安なだけで、結局それをやっていくしかないんだってまた気付けば、それをやり続けるしかないわけですから。
そこにスポットを当てられるかどうか、自分の中でですけど。
これを積み重ねて行くしかないなってことを確かめられたら、戻るしかないんで。本当ならあそこにいく為にはもっと大きい箱を持ってこないといけないんじゃないのかとか考えちゃうと、こうおかしくなっちゃうんで。やっぱり自分の持ってる物を積み重ねていって、どこまでいけるかっていうことを確かめるしかないって。
確かめたら、諦めるしかないんで。
このスピードなんだろうなって。
それだけですね。

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