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三遊亭わん丈(さんゆうていわんじょう)
1982年12月1日生まれ。
滋賀県出身
【芸歴】
2011年4月 三遊亭円丈に入門(没後 天どん門下)
2012年4月 前座となる 前座名「わん丈」
2016年5月 二ツ目昇進
2024年3月 真打昇進
【受賞歴】
2017年3月 第4回今夜も落語づけ 優勝
2017年8月 NHKラジオ「真夏の話術 2017」優勝
2018年10月 春風亭昇太のピローな噺#6 ピローキング
2019年12月 Zabu-1グランプリ優勝
2020年9月 第31回北とぴあ若手落語家競演会 大賞
2022年11月 大津市文化奨励賞
2023年2月 第1回公推協杯全国若手落語家選手権 大会 大賞
2023年4月 令和4年度彩の国落語大賞
抜擢真打で昇進した、三遊亭わん丈。
真打披露興行での裏話から、新作落語だからこそ出来る事を深く伺った。
そして、何より感じるのは師匠である円丈への愛だ。
以前インタビューをさせていただいたのが、2019年で二ツ目に昇進されて二年目で、丁度、二人目のお子さんが生まれる直前ぐらいでしたね。
円丈師匠は子供が生まれてから六歳までの時に自身が芸人として一番伸びたから、「この期間をお前にも味わって欲しい」ということでしたが、わん丈さんはお子さんが生まれてから、同じ期間を経てどうでしたか?
意識はしてないですけど、結果そうなってるかもしれませんね。
真打にもなりましたし。
師匠の言った通りになってますね。
真打になって、前座さんに初めてのアゲの稽古をされた時に、大変に勉強になることが分かりましたとおっしゃってましたが、具体的にどんなところが勉強になると思いましたか?
その師匠の前で、焦って落語をやっても意味が無いなってことですね(笑)。
アゲで受かる為にってことですよね。
お稽古に来た前座さんを見ていたときに「僕の前じゃなくて、お客様の前でやる時だったらもっとおもしろくやろうとするんじゃない?」って思ったんですよ。
僕のことをお客様だと思ってやればいいのになって。
目の前にいるし、意識しちゃいますよね。
僕も同じことを(三遊亭)萬橘師匠に一回言っていただいたことがあって、「お前は緊張するやつなんだな」って。
僕、普段ほぼ緊張しないんですよ。
それは、先輩だ、萬橘師匠だって思うから緊張するんですよ。
自分が味わって来たことを、教える側になった時に分かったってことですよね。
だから今度、僕がどなたかにアゲの稽古をしてもらう時は今までよりもうまく出来るかもしれないです(笑)。
お客さんだと思ってやればいいってことですね。
そしたら、「お前、俺のことお客さんだと思ってるだろ」って怒られそうですけど(笑)。
言葉が間違っているとかは後からでも直せるので、大事なのは " 落語を使って " どうお客様の笑顔を引っ張り出そうとしているかを、お稽古で一緒に考えることだと思っています。
真打昇進を告げられて、そのとき既に円丈師匠はお亡くなりになっているから、(円丈師匠の)おかみさんに報告した時はどんな反応だったんですか?
おかみさんには電話でお伝えしたんです。おかみさんは落語の事を、良いも悪いも何も言わない人なんですけど、「真打が決まりました」って伝えると、「早かったですねぇ」って言われたので、「抜擢だそうです」って伝えたら驚いたのが、「何人抜いたの?」って言われたんです。まさか、おかみさんからそんなに突っ込まれると思わなかったのですが、円丈も抜擢真打だったからなんですよね。
それで「15人だと思います」って伝えたら、「うちの人もそうだったからね。 生きていたら喜ぶね」って言われて、そのあと福島弁訛りの残る言葉で、「落語、頑張ってましたもんね」って。
その福島弁訛りが妙に刺さりますよね、温かいというか。
その言葉を聞いた途端に、こんなに涙が出て喋れなくなるんだっていうぐらい、電話を持ったまま「うああぁぁぁぁん!」って声を出して泣いちゃったんですよ。
急に込み上げて来たんですか?
入門して、当時僕が通い始めた師匠の家。
池があって広い家なんですけど、その当時の映像が " バーン " って頭に出て来て。
フラッシュバック(自然再燃)的な。
円丈とほぼ一年毎日過ごした、見習い前座の一年が結構いまの僕の全てだと思っていて、なんかそれが蘇って来た感じですね。見ていてくださったんやなみたいな。全然知らない他所の子が、家に毎日来て、稽古をつけてもらったばかりの下手くそな大声の僕の落語を聴き流されながら、部屋で縫い物をしたり、僕らの為にご飯作ってくれたりしてくれてたわけじゃないですか。だから、「頑張ってましたもんね」って言われたら。
ちゃんと見てくれていたってことですよね。
今思い出しても、泣きそうですね。
色んな人にお世話になって、落語をやらせてもらっているわけで、その人たちの存在は大きいんですけど、やっぱり僕にとっては師弟っていうのが大きすぎて、師匠円丈とおかみさんと、あの家がここまでの思い出の九割を占めてるみたいな。
印象としてもそれだけ大きいということですね。
あと、おかみさんが、寄席の披露興行もお客さんで何回も何回も来てくれました。
もう、それも嬉しくて。
真打披露興行の大初日に、トリでネタ下ろし( 茶金 / はてなの茶碗 )をされたのには驚きました。
外せない場だから、自分の十八番を選ぶのが通常かと思いますが、ここでネタ下ろしを選ぶのはチャレンジャーですよね?
「サブスク落語会」という会員制の勉強会を一年やっていたんです。
あと三、四年で真打と思っていたのが急にあと一年で真打ってなったから、この一年で、四年分の勉強をしなきゃいけないと思って。
無様な姿を見せてもいいように、そういう覚悟のある方だけ集まっていただくような(笑)。
そんな勉強会で準備されていたんですね。
で、大初日に来られるこの会員の方達に最大限のサービスをするにはなんだろうなとなった時に、僕の十八番を磨くところは、そのサブスクの会やここまでの他の会でご覧になっているから、じゃあ聴き慣れてないネタの方がと。一人でも新しいお客様が居るんだったら十八番をやるかもしれないですけど、大初日だけは全部のチケットを協会から預からせてもらって、全て自分の会で売れて、一人も僕をご覧になるのが初めての人が居ないことを分かってたから、" ネタ下ろし " にしたんです。
その前提があったから、ネタ下ろしされたんですね。
新しいことをやった方が喜んでいただけると信じてたんで。
何回もやっているめちゃくちゃ完成度の高いネタより、ちょっと完成度が落ちてもいいから、" 新しい事を観ていただくのが一番のサービス " だろうという考えです。
それだけでなく、さらに、池袋演芸場での真打披露興行の主任としての千穐楽では三題噺をされましたよね?
披露興行の四十三日間は、ネタを毎日変えるというのと、ネタ下ろしをするっていうのは、誰もやっていないと思っていたら、それぞれやった方がいらしたことに途中で気付いたんです。それなら、あと誰もやってない事は何かとなったら、" 三題噺 " ってなりました。
それで、大初日同様に、池袋演芸場のトリの千穐楽もほぼ僕の会でチケットを買ってくださったお客様で埋まってたから、なんか驚かせようと(笑)。
まさか、千穐楽で三題噺をするとはまず思わないですよね。
あとは、自分の三題噺に対する、これからのライヴスタイルの一つとしての三題噺というのを打ち出したかったっていうのもあって。
ネタ下ろしや、三題噺、そこまでチャレンジをするのは、わん丈さんなら、失敗を考えるよりも、むしろ、それを楽しもうという考えなのかなと思ってました。
いや、失敗しないようにしようとは考えていますよ(笑)。
でもやはりその日は自分の中で、とても100点なんて言えるものは作れなかったと思っています。で、帰りに池袋演芸場の表でお席亭さんにお会いできたので「すみません、もっといいのが出来れば」とお伝えしたら、お席亭さんから、久しぶりに気持ち良かっただか、楽しかっただかちょっと細かくは忘れましたが、「あんなに寄席の為に懸けてる感じが嬉しかったよ」って言ってくださったので、挑戦して良かったのかもと思えました。
それもすごく嬉しい言葉ですよね。
それで「またやってよ、うちでトリで三題噺さ」って言っていただいたのは、(しんみりと)「あぁ〜、やって良かった〜」って思いましたね。
しかし、今まで色んな会場で三題噺をやってきましたけど、寄席で披露目でってのはちょっとわけが違いましたね(笑)。
ネットラジオの「わん丈のサンドラ煩悩」でおっしゃってましたが、都内の寄席で、真打昇進披露興行を廻って、師匠方が寄席がお好きというのが分かったそうですね。
新たな気付きというか、「五貫裁き」をされた時にそれを特に感じたと。
具体的にどういう点で、そう思いましたか?
今でも忘れられないです。
これはちょっとクサい言い方になりますけど、「今までの師匠方がお客様から積み上げて来た笑い声が、鈴本演芸場の天井にこびり付いていて、それが今起きている笑い声と混ざって降ってきた感じ」ですね。
もう笑い声が、風と、僕は脂も感じたんですけど、" 風と脂 になって唸る " みたいな。
それを「五貫裁き」の時に感じたわけですね。
「そりゃ寄席でトリとりたくなるわけだわ」って思いましたね。
それを味わいたいって感じなんですか?
あの後、色んなホールでもやらしてもらいましたけど、ちょっとあれと同じ感覚はない気がします。
あれは鈴本という特殊な、最古の寄席でありながらホールっぽい造りっていうのもあると思うんですけど、ちょっとあの感覚は忘れられないですね。
鈴本だからというのもあるんですね。
「五貫裁き」で、ギャグだけじゃなくてストーリーで積み重ねて来て、お客様も主人公に没頭してきて同じ気持ちになって、「ドーン」って、「弱者が強者をひっくり返した時のような」あの心地良さがもう「ドカーン!」、「バーン!」みたいな。もうすごい感覚で、あれは堪らなかったですね!
「あぁ、これかー!」みたいな感じですか?
「あぁ、これもう! たまらーん!」みたいな。
満員の鈴本だから起こるのかっていう感じですね。だからか分からないですけど、一気に「寄席でトリを取りたい!」って思いましたね。トリは披露興行の時は誰でも取れるわけじゃないですか。
そうではなく、普段の寄席でも、「トリを取りたい!」って。
( その後、2024年7月上席の昼席で初めて定席でトリを取ることになる )
真打昇進披露興行で印象深かったことはなんですか?
毎日ネタを変えようと思っていたので打ち上げを朝までやらなかったことです(笑)。
あと、毎日打ち上げに行きましたから、自分がこんなに心と身体が丈夫なんだって。すっごく厳しく育ててもらったのもありますし、強い身体に産んでくれてありがとう、親父、おかんって本当に思いました。披露興行を経て残ったのは、ほんと " 感謝 " だけですね。
自分が落語をおもしろくやるだけじゃ披露興行は成立しないです。
それはただの高座ですから。
披露興行と高座ってまた別ですから。
どう違うんですか?
高座は普段通りのことをやるんです。
披露興行は披露興行なので、僕は何も出来ないと思うんです。
よく言えば神輿で。
担いでいただかないといけない。
これは上の方とか仲間とか、お客様がやってくださることだから、この高座で出来ているのは僕の力は0%だなぁと思いながらやるというか。
100%人のおかげという境地にいきましたね。
それは披露興行が始まってすぐにそう思ったんですか?
真打昇進披露パーティーの時に既にそう思いました。
後援会も今までお断りしてきたのに、こんなにもたくさんの方が僕のことを気にして下さっているんだなという感じです。
皆さん、優しいなぁって思ってました。
それに今まで気付かなかったってことですよね?
だからガキなんですよね(笑)。
それに気付かせてもらえたし、今はもうほんとに " 感謝、感謝 " ですよ。
朝起きて感謝、寝る前に感謝みたいな感じですね(笑)。
真打一年目の立場から見た時に、先輩である真打の師匠方との共演も増えて、売れている先輩方の秘訣はどんなところにあると特に感じていますか?
二人会とかでご一緒した時に、「あっ、この師匠は自分の強みを分かっておられる」、僕は「まだ、自分の強みが分かっていないな」って思います。
しかも、師匠方は弱味を見せない。
そもそも弱味があるか分かんないけど(笑)。
簡潔に言うと、" プロだな " って思います。
それは二ツ目の頃よりそう感じるんですか?
二ツ目の頃はそんなには思わなかったけど、それをより感じるようになりましたね。
自分もプロになっていかなきゃいけないのかなぁって。
日本橋の浜町の落語会「濱町亭」のインタビューでは、スベったらもう次の高座はないって思ってますからとおっしゃっていて、もう次の高座はないって言うのは、初めてのお客さんもいるから、その人にとっては、そのー回、ー分のーでしかないみたいなことですか?
そういうことですね。
お客様あっての仕事ですから。落語の仕事ってほとんどがレギュラーものじゃないので。
つまり僕の噺家になってからのここまでの十三年間って、一回一回の点を歩いて、振り返ったら線になってただけだから。やっぱりメディアってデカいと思うんですよ。
僕現場がほとんどでしょ。
メディアに出ている人と僕がもし比べられたら「僕はよりウケてないと並んだ時に落とされますよね」っていう意識は持ってますね。
それで、その意識でライヴを大事にしているみたいな。
やっぱ、ライヴが一番ですかね。
公式LINEでのメルマガを拝見していると、以前よりも地方で観光をされたり、のんびりもされている様に思いますが、何か心境の変化とかがあってですか?
噺家って、地方に行ってもすぐ帰るんですよ(笑)。
僕もそうしてたんですけど、せっかく全国の色んな所に行ってるから、ゆっくりしようと思って。
観光とかですか?
観光もしますね。
落語関係のお席亭さんって詳しいんですよ。だから、そのお席亭さんたちに地元のおすすめスポットに連れて行ってもらうのが楽しいですね。例えば、地方で1つお仕事があったら、その前か後ろに今までのようにあんまり無理にお仕事を入れないようにして観光したり、宿泊先も、普通は主催者さんにホテルを取っていただくんですけど、お願いをして自分で不足分を足して旅館とか、ちょっと今までと違うところに泊まらせていただくようにしてます。そういう事を周りの先輩方が、そんなにやっていらっしゃらない様に僕には見えてて。
僕は二ツ目の最後の年にずいぶんと無理なスケジュールを組んで、忙しいとどうなるかが見えたから、もう真打からは、まだ早いかもしれないけど、そういう生活をしようと。
そういう、精神的にも余裕を持つということですね。
昨年(2023年)に1500席やった時に古典落語を覚えることは出来たんですけど、情けないことに自作が、そんなに作れなかったんですよ。
マクラや漫談も、これはウケるというのがそこまで出来なかったから、やっぱ新しい創作をするには、ちょっとは立ち止まらないといけないなって思って。
それが真打昇進時の「東京かわら版」のインタビューでもおっしゃっていた、インプットですよね?
旅先で、たまに数時間とかでもぼ〜っとしながら、新作書いたりとか、話題を集めたりとか、そういう時間を取るようにしてます。
それが今していることの一つですね。
「くがらく」のインタビューで、新作落語の「来場御礼」が自分でも、他の噺家さんからも反応が良くて、初めて新作落語を作ったって手応えを感じたネタですとおっしゃってますが、この時が2018年でした。
これ以降に作った噺で同様の手応えを感じた新作はありますか?
「来場御礼」って誰でも出来るんですけど、誰もやってこなかった形なんです。
よく言えばコロンブスの卵みたいな。
だから、あそこまでの鉱脈を引き当てるみたいな感覚は僕は一生無いんじゃないかなと思います。
最近も掛けられていますか?
お客様のマナーが良くなった気がするので、掛ける必要がほとんどなくなりました。
それに、新作で革命的な事を起こしてくれって思っている人以外には、これで一席? って思われて、今は損することの方が多くて。
でも、それは新作の宿命だし、僕はやっぱりこの噺はめちゃくちゃすごいと思うから、一生これ以上の噺はできないんじゃないですかね。
其れ程なんですね。
僕がこの世界に入った時の新作落語の感覚っていうのは、師匠である円丈が作ったシーンというのがあって、古典落語を聴いてる中で新作という新しいものがあって、もう古典はたくさん聴いたって方が観に来て、新しいのを観せてくれっていうシーンですよね。
そこで、僕は最初揉まれるわけですよ、もう厳しいお客様に。
今もそれはもちろん変わらずにやっていってますけど。
揉まれながらきたということですね。
僕は円丈のそういうシーンを作る能力もすごいと思うんですけど、単純に、円丈の明るい声だったり、表情だったり、話術の能力の方が好きで入門していて。
僕、別に円丈が作ったマニアックな新作シーンだけが好きなわけではないんですよ。
円丈師匠の芸に惹かれたってことですね。
守破離って言葉があるように、これからは少しずつ破って、離れていかなきゃいけない。僕が今出来ることっていうのは、ほんとに色んなところで、落語をやること。
前にその会場に行った仲間から、「あそこは落語を聴いてくれないから、漫談にした方がいいかも」って言われたような会場でも、僕はちょっとでも落語を聴いてもらいたいんですよ。
ってなった時に、落語通の方には全く分からない感覚かもしれないですが、「こんちは、ご隠居さんいますか」ってだけで拒否反応する人ってたくさん居るんですよ。
まず、ご隠居さんって何? って。
言葉が分からないってことですか?
言葉が分からないもあるだろし、あっ、なんか漢字が多いみたいな。
言葉が分からないでいうと、なんにも知らない人がいきなり歌舞伎を観たみたいな。
そうそう、その感覚ですよ。
歌舞伎は背景とか煌びやかだからいいじゃないですか、動きもありますし。
落語は一人の人が何も無いところで話しているだけですから。
「こんちは、ご隠居さんいますか」、「誰だい、おう、八っつぁんじゃないか」という場面で、落語を知らない人からすれば、インターホンを押さない、アポ(事前に行く約束)も取ってない、変な事だらけなんですよ(笑)。
現代だとそうなりますね。
古典をたくさん聴いた人が聴くタイプの新作だけじゃなくて、古典の前に新作をやらないとどうにもならないという本当の落語初心者のお客様に落語を聴いてもらう為の新作なんです、今僕がやっている仕事の一つは。
正に「来場御礼」なんかはそれに近いんです。
そこから次は古典を聴いてもらって。
入口を入りやすくしたってことですよね?
古典が入口にならない場所ってのが意外とあるんですよ。でも、そこを漫談で下りたくないっていうのがあるんです。そこで僕の新作です。
落語家なんだから、落語を聴いてもらいたいと。そして今度いつか古典落語に辿り着いてもらおう、そしてその先にあるもっとディープな新作落語に辿りついてもらえたらと思っています。三題噺もそれなんです。
三題噺ってどちらかと言うと、奥にありません?
マニアの方に。
後ろにあると思います。
都内の、ご常連の、夜席のって感じでしょ?でもただのマニアックな遊びだけで終わっちゃいけない。
手前でもやっていかないと。二ツ目の途中からやっているんですけど、お昼の、地方の、ご年配の落語をあまりご存じないお客様からお題を取るわけですよ。
そんなに落語を聴く気がないような会場とかまだまだありますから(笑)。ここでお客様とまずコミュニケーションを取って、その地方の特産のこととかを教えてもらいながら、落語とか関係ない感じで現場を温めていって、で「今教えてもらったことで落語作れるんですよ」って言って、いざ三題噺をやったら、" わぁ! " ってなるんです。それで、じゃあ次は古典落語も聴いてみませんか? ってなるっていう。
売り出し方じゃないですけど、入口の敷居を下げておくってことですね。
僕は生で落語をしていたい。
テレビとかメディアにそこまで出ていないから、落語の入口を現場で落語でこじ開けたいんです。
で、全部、色んな落語をやりたい。
最近だと「喪服キャバクラ」や「花魁の野望」とか、ウケる新作落語はあるけど、「来場御礼」はもう多分僕じゃこれ以上の噺は出来ないんですよね。
そこまでの落語に対する姿勢ってどんなところから来るんですか?
今の僕の全てが棚ぼただと思っていて、大学で落研(落語研究会)に入っていたわけでもなく28歳でこの世界に入って来て、好き勝手やらしてもらっているから、なんか僕が落語の役に立てることをやんなきゃなって。
最初は疑問に思われたり、それこそ嫌われたりしてでも、新しいことをやんなきゃいけない。
わん丈さんの人生訓は「何か大きく見せたい時は、その何かを大きくしちゃいけない、この回りのものを小さくしろ」ですが、音の技術的な話と、初対面の人との接し方も絡めて、円丈師匠から教わった時に、それがすごく響いたってことですよね?
円丈から言われたのは「お前は、サービス精神が旺盛だから、一回目から、どうも初めまして! っていっちゃうだろ。 二回目、三回目にそのフレッシュさで人と関われなくなった時に、あれっ、この人って私に興味なくしたのかな?って思われちゃう。 だから、その時の事を考えて、あとで大きくするのは大変だから最初を小さくしておけ」と。
客観的で、先の目線で見てくれてますね。
これはなんでもイメージトレーニングをしておけって事だと思うんですよ。
" 先まで見据えろ " って事だと僕は捉えてて。どこに自分のピークを持って行きたいかを考えろよということだと今でも思ってます。だから落語におけるギャグの量、質、音量などのあらゆるボリュームなんかもそうですよね。あと、落語家としての人生設計も、やっぱりお客様から見た時に将来、「あっ、こいつ落ちたな」って思われたくないから、なんか今人生ちょっと手を抜いています(笑)。師匠のその言葉のおかげで、ちょっと " ゆるく生きる " っていう。
で、そのおかげで一席一席の高座により入魂することができています。