隅田川馬石

「 時間を忘れてしまう様な落語を演りたい 」

隅田川馬石
  • インタビュー・編集:藤井崇史 / 撮影:知久存在

公開日:

隅田川馬石

隅田川馬石(すみだがわばせき)

1969年 兵庫県西脇市黒田庄町出身

【芸歴】
1991年06月 石坂浩二主宰劇団『急旋回(きゅうせんかい)』に入団
1993年10月 五街道雲助に入門 前座名「わたし」
1997年09月 二ツ目昇進 「佐助」と改名
2007年03月 真打昇進 四代目「隅田川馬石」を襲名

【受賞歴】
1999年 平成11年度 北とぴあ若手落語家競演会奨励賞
2007年 第12回林家彦六賞
2012年 第67回文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞受賞
2021年 第76回文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞受賞


隅田川馬石 | 落語協会

今年、芸歴32周年を迎えた隅田川馬石。
スタンスは、コツコツとやること。
長講に対する想いや、師匠である、(五街道)雲助師匠への想いを中心に伺った。

まだ便利さを知らない状態でいたい

マラソンを20年以上されていますが、始められたのは、どんなきっかけからですか?

隅田川馬石

後輩が大病を患って、「10分の落語をやるのも大変でしたよ。やっぱり体力がいりますね」というのを聞いて、自分も走って体力を付けようと思ったのが始まりですね。

2017年(当時は49歳)の「白酒のキモチ。」では、体力の落ちる瞬間はまだ感じていないとおっしゃっていましたが、それから8年経った今でも、まだ感じていないですか?

隅田川馬石

体力自体は、なだらかに下降していっている感じですよ。
ただ、この下降を緩やかにしたいなって感じです。
コロナ禍の前は、毎日五キロを全力で走っていたんですよ。
それが、コロナ禍でマスクをしないといけなくなり、それでもう前のタイムは出せないなと思って、落として走り出すと、もう戻れなかったんですよ、思いっきり走るってことが。

隅田川馬石

そういうところにも影響があったんですね。

隅田川馬石

あとは、やっぱり気力が失くなっちゃったのかな。
こっからまた思いっきり走ろうっていう。
だから、そこはもう諦めて引退。
自分の中では。
アスリート引退です(笑)。

でも、今も走ることはされるんですよね?

隅田川馬石

今はゆっくり走ってますね。

マラソンとは別で、20歳のころから毎日、お風呂上がりに柔軟体操と腹筋を欠かさず続けられているんですよね?
それも続けているおかげで、長い噺をしていても息切れをせずに耐えられる気がしますとおっしゃっていましたが。

隅田川馬石

座って喋っていて、腹筋は絶対感じますからね。
あぁこれちょっと疲れたなと思ったら、お腹の力をグッと入れると、パッと声が出たり。
1時間の噺をする時に、40分辺りは体力が落ちるんですよ。
そこをグッっとこう声が出ると、疲れてないのが分かるんですね。
疲れていると、高座から見ていて、お客さんが「この人、疲れているんじゃないか」って感じる瞬間があるんですよ。

他の人の高座を見ていても、そう感じることはあるんですか?

隅田川馬石

そうですね、それは他の方を舞台の脇で聴いててもそう思いますから。
ちゃんと喋っているんだけど、ここ結構疲れてんなとか(笑)。
そこがやっぱり底力というか、 " 体力 " だと思うんですよ。

世の中がデジタル化していっている中でも、アナログを貫き通すのはなぜなんですか?
X(旧twitter)は知らない人に話しかけられるのが恐いからやらないとか、通販も使わないそうですね。

隅田川馬石

まだ便利さを知らない状態でいたいんですよ。
だって、知ったらそっちにいっちゃいますよ、絶対便利なんですから。
今もガラケーを使っているんですけど、スマホを一回使ったらそっちにいっちゃうだろうし。

今も自分の落語をテープで録音されているんですか?

隅田川馬石

そうですね。
感覚として、同じ音の様だけど、デジタルなもので身に染み込んでいくよりは、アナログで染み込ませたいっていうのがあるんです。

何かのきっかけでデジタルに移行することもあるんですよね?

隅田川馬石

最近とかではないですけど、電車に乗るのに「Suica」ですね。
自分で「Suica」を買ったわけではなく、貰ったんですよ。
それまでずーっと、いちいち切符を買っていたのが、買わなくてよくなって。
便利でラクですよねー。

時間を忘れるってことは、ロマンチックって意味なんだろうな

二ツ目になった頃は、全然仕事がなかったそうですが、ぼちぼちやりましょうってスタンスであっても、少なからず不安は感じていましたよね?

隅田川馬石

噺家になる前の不安とはまた違うんです。

どう違うんですか?

隅田川馬石

食べて行けるかの不安じゃなくて、噺家として、 " 人に認められていない不安 " ですね。
なんかこう宙ぶらりんというか、二ツ目の落語って、お客さんはおもしろいねって観てるけど、結局は育ててあげてるよって観てる感じですよね。
その頃は、お金よりも、とにかく噺を聴いてくださいって感じで、その精神が、今考えても不安な気がします。

隅田川馬石

そこから、自信を持てるようになったのはいつぐらいですか?

隅田川馬石

やっぱり、真打ちになり寄席でトリを取るようになって、自分の名前でお客さんが来てくれるようになってですね。
ちゃんとお金を払って観てくださるわけで。

真打ちになって間もない頃、トリの高座に「大工調べ」をかけたいけれど、言い立て(長いセリフのこと)にちょっと不安があって、迷いがあったけど、結局挑戦されたんですよね。
そういう時はやっぱり、スポーツをされていることもあって、失敗を考えることよりも、挑戦心が勝つんですか?

隅田川馬石

こじつけですけど、その頃、オリンピックのフィギュアスケートが話題で、4回転を飛ぶか飛ばないかみたいな議論になっていて、それで自分も挑戦しようと思ったんです。
挑戦した方がいいんじゃないかって。

でも、そこで失敗は考えないんですね?

隅田川馬石

トリで若い真打ちで、もちろん失敗はしたくないわけですよ。
言い淀みも噛みたくもないし。
そういうところで、「大工調べ」をやるっていうのは、よっぽど勇気がいるわけですよ。
ただ、失敗したところで、どうってことないんですけどね。
そこに対してお客さんは「あー、失敗したー」って思う人はいるかもしれないけど、そこだけじゃないですからね。

この時はやってみてどうだったんですか?

隅田川馬石

やってみて良かったですね。
やる前は、「トリだし、これで満足してお客さんに帰ってもらえるかな」って思いますけど、お客さんはどう思ってるかは分からないですけど、わーって帰って行きますよ。
でも、「おいおい、金返せ」みたいな、そういう状況になるかもしれないっていうのは想像しますよね。
だから、トリはやっぱり大変だと思います。
今はだいぶ慣れるってわけじゃないんですけど、そんなにお客さんを悪いように思わなくてもいいかなと思いますね(笑)。

捉え方次第ってことですよね。
重く捉えるのか、気楽に捉えるのか。

隅田川馬石

そうですね。
でも、技術とか伝統を重んじると多少そこに停滞する時があるんですよ。

隅田川馬石

どんなに疲れていてもいつまでも走り続けられる「ランナーズハイ」のような感覚は、高座でも同じような感覚になる時はあるんですか?

隅田川馬石

「ランナーズハイ」みたいな感じではないけど、やっていて体が疲れてないって時がありますね.

それはどんなタイミングで起こるんですか?

隅田川馬石

例えば、鈴本(鈴本演芸場)でトリの時も、長い噺だったけど、「あっ、もう終わるんだ!」っていう感覚はありましたね。
長い噺をやる時は、「一席お付き合いを願います」って言った瞬間にもう戻れないでしょ?

そうですね、噺に入るからですよね。

隅田川馬石

お客さんの深い海の中へふわっと入る感じですよ。
あとはもう、任せるっていうか、荒波に。
だって、覚えていることが出るか、出ないかは分からないわけで。
稽古の時は思い出しながらやって、「あっ、思い出した、思い出した」ってなりますけど。
これで、思い出して、高座に上がると、一瞬で頭が真っ白になりますよ(笑)。
でも、「一席お付き合いを願います」って言った瞬間にもう入るわけですよ。
それで、ザーッと言葉が出るっていうのは、やっててもビックリしますね。
よく出るもんだなと(笑)。

その時のお客さんの雰囲気とかもありますよね?

隅田川馬石

すっと噺に入って、普通に入ったと思っても、アクシデントがあるでしょ。
ガチャガチャってなったり、そういうのに気を取られた時に、一瞬乱れるわけですよ、言葉が。
そこをうまい具合に立て直すというか、それはやっぱり、そういうイレギュラーなことがあるからこその " 生 " の良さなんですよ。

ライブ感ですよね。

隅田川馬石

だから、覚えたことをただザーッとよどみなく喋るのがいいかと言うと、そうでもないような気もするんですよね。

馬石さんの落語は、ロマンチックになるとよく言われてると思うんですが、ご自身でも " ロマンチックな落語 " と。
それはどう意識されているんですか?
少女漫画を読まれているわけでもなくで。

隅田川馬石

意識はしてないですよ(笑)。
そもそも、 " ロマンチック " っていう言葉が先なんですよ。

隅田川馬石

いつから名乗っているんですか?

隅田川馬石

師匠(五街道雲助)が初めてホームページを作る時に、「「弟子の紹介ページにお前たちを載せてやるから、自分のプロフィールを書いてくれ」って言われて、その時に、性格の項目で、時間にうるさいって書いてて、兵庫・西脇市の出身で、子午線の通っている町だからって(笑)。
そういうこじつけで、時間を軸にして。最後に夢の項目で、「観ている人が時間を忘れてしまう様なロマンチックな落語を演りたい」って書いたのが始まりなんです。だから、ロマンチックが始まりじゃなくて、プロフィールにそれを書いちゃったから。
「ロマンチックって何? おもしろいね!」って言われて、そっから、ロマンチックだって(笑)。

そこからなんですね。

隅田川馬石

別にやっていることは、ロマンチックは意識してないけど、ただ、「見ている人が時間を忘れてしまう様な落語を演りたい」ってことですね。
それがロマンチックかどうかは分からないですけど。
でも、時間を忘れるってことは、ロマンチックって意味なんだろうなって思います(笑)。

明確にやりたいこととして示したのが、" 長編人情噺「続きもの」 "

長講が評価されるようになったきっかけはなんですか?

隅田川馬石

「お富与三郎」を初めて通しでやった時に、一年間かけて隔月で最後まで行きました。
始める前に、(桃月庵)白酒兄さんに「こういう会をやりたいんですけど、会場が取れないんですよね」って言ったら、「会場はいい会場を取った方がいいよ」って言われましたね。
「世間にもアピール出来るし」って。
それを聞いて、白酒兄さんすごいなーって思って。
それで、お江戸日本橋亭でやって、こういうことをやってるんだって世間に認識してもらえたんだと思います。

長講だと、長いからこそ噺に引き込ませないといけないところがあると思うんですが、そこはどう意識というか、工夫されているんですか?

隅田川馬石

その時は二ツ目になってすぐでしたけど、自分では分からなかったですね。
ただ師匠が思っていることを、ちゃんと体に入れられるかどうか。
覚えて喋るんだったら、誰でも出来るし。
師匠からは「こういう噺をやるんだったら、こういう心掛け、行間をちゃんと表現していかなきゃこれをやる意味はない」って言われて、確かにそうだなというのが分かったというか。
やっぱり言ってもらえると、そう思います。

隅田川馬石

長講と、他の大ネタではまたポイントが違うんですよね?

隅田川馬石

師匠が言うには「長講できっちりこう笑いがなくても、人物像をちゃんと組み立てていけば1時間でもお客さんは付いてきてくれる」と。
例えば、50分ある「唐茄子屋政談」をやった時に、滑稽噺だから笑いどころがいっぱいあるわけですよね。
それは楽ですよ、やっぱり!
ましてや、押さえる人物像があれば、お客さんがふぁっと引き込まれて、その上、笑いがあるから。
やってても楽しいですし。
でも、「お富与三郎」みたいな笑いがなくて、ずっと人物像でやっていって、お客さんがグッと食い付いてるのもやっぱり楽しいので、どちらも楽しいですね。

フルマラソンを走り終えた時の感じと、長講をやり終えた時の達成感はまた違うんですか?
どちらも、コツコツと練習と稽古をしてきて本番を迎えるわけですが。

隅田川馬石

フルマラソンはね、もう " 無 " になりますね。
途中から足が痛いだとか、もう自分との戦いなわけですよ。
とにかくゴールを目指すわけで、ゴールした時の写真があるんですけど、すごくいい表情をしているんですよ!

長講だとどうなるんですか?

隅田川馬石

「お富与三郎」の時は、覚えて覚えて一年間よくやったなって感じです(笑)。
それから何年も経って、こないだ(柳家)三三兄さんと「名人長二」をリレーでやったんですけど、ああいう噺をきっちりやっていって、最後に締めで喋っていると、なんか自分で感動して涙が出そうになるんですよ。

それは、噺に入り込み過ぎてそうなるんですか?

隅田川馬石

入り込むんじゃないんですよ。
「名人長二」って大河ドラマみたいなもんじゃないですか。
長二の一生っていう。
最後は、落ちじゃなくて、締めの言葉を淡々と言うんです。

ナレーションみたいな感じですよね。

隅田川馬石

大河ドラマの最後の締めのナレーションって、テレビで観ていても、これで終わりだと思うから入り込みますよね。
そんな感じですね。
いい映画を見終わった時に、あぁ良かったなって走馬灯が浮かぶような。
それが喋っていて、そういう状態になるから、泣きそうになるんです。
長い噺をやると、そういうことがありますね。
でもそれは、ネタ下ろしとか、若い頃には分からなかった感覚なんですよ。

隅田川馬石

雲助師匠から、「世話噺」を伝承しようと思ったきっかけはなんだったんですか?
雲助師匠は、「世話噺」は手間もかかるし、儲けも少ないし、万人に喜ばれるわけでもないとおっしゃってましたが。
(雲助曰く、「落し噺」には入らない続きものの噺 = 一日では終わらない長編人情噺を「世話噺」)

隅田川馬石

二ツ目になって、色々企画物をやってたんですね、色んな噺をエンターテイメント的に。
でも、それはまだちょっと早いなと思ったんですよ、自分の技量と経験年数を考えた時に。

そうなると、違う方向性を考えますよね。

隅田川馬石

だから、私はこういうことをやりたいんですって、きちんとアピールしないといけないと思ったんですね。
ただおぼろげに、師匠の噺がやりたいとかそういうんじゃなしに、実際やろうと思って、一年間会場を借りてネタを決めてやったのが、「お富与三郎」なんです。
だから、きっかけはそれなんですよ。
ちゃんと示そうと。
思っているだけじゃなく、実行に移したのが、その一年で。
これをやってみると、もう後は、どんどんやっていきたくなるっていう。
あの一年で「お富与三郎」をやってなかったら、今も長講はやってなかったと思うんです。

長講はどうやって覚えるんですか?

隅田川馬石

人によってやり方は異なると思いますが、私の場合は、毎日ちょこちょこ少しずつ時間を掛けて覚えていますね。
それに、後回しにして根を詰めるのが嫌だから、今日は覚えるのはいいやとは絶対ならないですね。

それなら、夏休みの宿題も毎日コツコツやるタイプだったんですか?

隅田川馬石

それがね、学生の頃は全く。
最終的にはやらないっていうか、提出もしないんで、最悪ですよ(笑)。
だから、その時の反省としてですね。

隅田川馬石

師匠みたいな、七十代を迎えたい

2016年の毎日新聞のインタビューにありましたが、入門20年目を超えた時期に、心持ちが変わってきたと。
この時は、どう変わって来たんですか?
「師匠と私は違うと気付いたんです。楽になりました。本質は上方の気質が合う。育った感覚でやりたい」とおっしゃってましたが。

隅田川馬石

師匠も言ってますが、「育って来た環境が違うから」って。
だから、お前の好きなようにやりなさいと。

それまでは、江戸の感じでやらないといけないみたいな感じだったってことですか?

隅田川馬石

それまでは、師匠の感情に近付けようと思っていたんです。
日常会話でも、師匠が笑うところと、自分が笑うところは同じじゃないわけですよ。
話していても、関西の人とは、話の持っていきかたが丸っきり違いますし。

その心持ちが変わったきっかけはなんですか?

隅田川馬石

噺の組み立てですよね。
師匠の型通りはやってたんだけど、やっぱり寄席に入ると、10分でやって下さいとか、15分でやってくださいって、時間の調整があるんですね。
そうなると、自分で噺を編集するわけですよね、15分の噺を10分にする場合は5分削るわけで。
そこは師匠が編集するんじゃなくて、自分で編集するわけですよね。

そうなりますよね。

隅田川馬石

例えば、ご隠居さんから喋って始まっていたのを、八っつあんから喋るとか、噺の入り口を変えたりとか。
逆に編集した時の方がウケる時があるんですよ。
お客さんは100パーセント筋を追って、間違えちゃいけない。
だから、よく言われるのは、「噺の仕込みを忘れたからどうしよう」じゃなくて、「仕込みを忘れても、高座でのオウム返し」でウケる時はウケるんですよ。
でも、そういうもんなんですよ。
そういうのを、その時に気付いたかなと思います。

雲助師匠が、2024年の雑誌「東京人」でのインタビューで、馬石がここんとこ落とし噺で妙なフラを身につけてきたんですよ。
これまでは、高座でもう少し弾けてもいいかなと思う時があったのが、今では弾け過ぎじゃないかと(笑)。
とおっしゃっていましたが、これはどんな心境の変化があったんですか?

隅田川馬石

師匠が観ていると思うと、一番恐いのは「お前あれ駄目だよ」って言われることで。
それをずっと思うわけですよ、やってて。
これをやったら師匠が嫌がるだろうなとか。
それがなくなったって感じですね。
師匠はほんと「なんでもいいよ」ってずっと言ってたんだけど、ほんとにいいのかな? って思いますよね、弟子としては。
そんな中、白酒兄さんは、どんどんやっていくわけですよ(笑)。

そうですね(笑)。

隅田川馬石

一門会とかで、白酒兄さんの高座を観てて、師匠も一緒に観ているんだけど、白酒兄さんこんなこと言っていいのかなって思うわけですよ、こっちはね。
それで、師匠の顔色を見たら別になんにも気にしてないし、師匠は「白酒は白酒のやり方でいいんだよ」って言ってるし。
じゃあ、" やっていいんだ! " って思ったんです。

これはどのくらいの時期なんですか

隅田川馬石

2024年よりも、もっと前だと思いますよ。
探り探りですけど。
結局今はもうね、私が「湯屋番」をやった時に、ちょっとアレンジしているんですけど、師匠から、「おもしろいよ、あれ」って言われたのが嬉しかったですね!
師匠はね、脱線じゃないですけど、こういう解釈でやってますっていうところが気になるんですよ。
脱線はあんまり僕は好きじゃないんですけど、解釈をちょっと変えましたみたいな。
ただ、そこを師匠が嫌がると嫌なんですよ。

隅田川馬石

75歳で落語家のピークを迎えるようにいまから調整しているそうですが、なぜ75歳なんですか?

隅田川馬石

100歳まで生きたいからです(笑)。
75歳ぐらいで脂が乗ったら85歳ぐらいまではいけるでしょ。

75歳だから、正に雲助師匠が理想ってことですよね?

隅田川馬石

理想ですね。
師匠が今77歳で、75歳の時に人間国宝だから最高じゃないですか!
やっぱり師匠を見てますよ。
未だに、その回の為だけに、滅多に掛けない噺をわざわざ思い出したりするんですよ。
他でやるわけでもないのに。

それでも、まだ20年ぐらいありますよね、75歳まで。

隅田川馬石

そこまで新鮮な気持ちを持ち続けられるかどうかが、不安ですね(笑)。
毎日毎日やっぱり気持ちが変わっていきますからね。
それを後20年続けるわけですから。
でも、まだ20年近くあるので、ほっとしました。
まだそんなにあるんだって(笑)。
あと5年後だって言われたら焦りますけど、20年ならコツコツやれば大したもんができますよ。

マラソンや長講を覚えるのと同じで、日々コツコツってことですね。

隅田川馬石

そうですね。
ただ、方向性を間違えないようにしないとですね。

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