立川談笑
「 "落語の持つ柔軟性" を信じている 」

- インタビュー・編集:藤井崇史 / 撮影:知久存在
公開日:

立川談笑(たてかわだんしょう)
1965年 東京江東区生まれ
1990年 早稲田大学法学部卒業後、予備校講師などを経験
【芸歴】
1993年 立川談志に入門。前座名「談生」
1996年 二ツ目昇進
2003年 改名して「六代目立川談笑」
2005年 真打昇進
【受賞歴】
平成26年度 彩の国落語大賞
立川談笑WEB
「伝統を現代に」立川流家元の談志が残した言葉である。
談笑は当時の価値観を現代に合わせている。
落語が本来持つ柔軟性や、これからの落語の行く末はどうなるのかも伺った。
好きと自分に思い込ませる
健康の為に、毎日ウォーキングをされるようになったのは、大病をされてからですか?
(2019年11月にS状結腸穿孔の手術、2021年5月末に甲状腺乳頭がんの手術)

その前からで、もう10年以上前ですね。
桜の満開の所を歩いたら気持ちいいだろうというので、健康の為に頑張るんじゃなくて、楽しみの為にやるんだっていうことですね。
そういう入り方でした。
今は、歩く励みが猫を見つけることなんですよね?

そうそう(笑)。
猫を見つけなくてもいいんだけど、歩く為のモチベーションというか。
猫の前は、色んな交番の建築がおもしろいからでしたね。
何かわざと、これが楽しい、気持ちいい、大好きって思い込ませる。

その感じは、浪人生の頃からで、6時45分には必ず起床する為に、NHKの「ラジオ英会話」のマーシャ・クラッカワー先生をとにかく大好きと思い込んで、その声が聞きたくて、起きるモチベーションにされていたんですよね?

自予備校に行かない自宅浪人だったので、自律の為ですね。
だらけてしまうからですよね。

だから、そこがまず出発点だった気はしますね。
他にも、NHKの「連続テレビ小説」とか、当時は全然興味ないんだけど、「この続きがすごい気になる、この課題を終わらせないとテレビ小説が観られないぞ!」って、自分をそういう風に持っていってましたね。
その後も、予備校で教える立場になった時も、単語帳を覚えようと思ったら、その単語帳を愛するんだと(笑)。
もう相当に思い込むってことですよね(笑)。

そういうごっこで、これ大好きって。
もう一緒に添い寝したりだとか(笑)。
単語帳をめくって、これは覚えたけど、これは覚えてないってなった時は、「ごめんね〜、次は忘れないからさ〜」っていう風に感情移入して好きになるっていうね。
そこまでなんですね(笑)。

落語家になった後も、談志が決めた二ツ目昇進の基準に、歌舞音曲もあって、歌なんてね、端唄、小唄、都々逸とあって、当時は現代の若者なわけですから、そんなの好きじゃないわけですよね。
今の若者に古い時代の歌を覚えなさいってことと同じですよね。

いくらか一般よりも興味はあったとしても。
とにかく、それを好きになるようにっていう風に自分を騙して。
まんまと大好きになって楽しくたくさん覚えました。
その時代に合わせた価値の変化
「東京かわら版」での真打昇進時のインタビューで、常識にとらわれずに物事を本質に立ち返って考えるスタンスにブレはないとおっしゃっていましたが、そのスタンスは前座の頃からそういう考えだったんですか?

基本はそうですね。
多分ですけど、法学部(談笑は早稲田大学法学部卒業)というのがあるんじゃないかなと思いますね。
自分の考えが正しいみたいなことですか?

法学部だと、そこも一つ議論になるわけですけど、正義ってなんだろうって。
正義も時により揺らぎますよね。また、法律っていうのも保護法益つまり守りたいものがあるからこその文章であって、文章そのものに拘束されすぎてはいけない。たとえば牛や馬の通行を定めた法律があったとします。
保護法益は「交通の安全」。
時代が変わって馬車が登場したら、まあそのままでもいいかな、だけど、これが自動車となるとさすがに牛や馬に含めるのは無理があるだろうと。

その感じは落語で言うと、どういうことになるんですか?

つまり、落語になぞらえて言うと、古典落語というテキストがあるんでなくて、古典落語の先に何かあるんだという様な考え方ですね。
ですから、時代が変わっていけば、その法律も変えなくちゃならないし、落語もきっと変えなくちゃならないしっていう、そういう考えですね。
時代に合わせて変化するってことですよね。

だから、正義という確たるものがどこかにあるのではなくて、そのいつも揺らいでいく、正義だったり、あるいは、みんなにとっての癒されることとかっていうのは変わっていくものだから、我々はそれを捉えて、お客さんの心の癒しの為に、どうしていくのか。
落語自体も変えていくし、必要であれば新しい落語を作るしっていう、そういうところですね。
前座の頃から改作をされていて、新作落語や古典落語を手掛けるのと同時に、改作落語にも力を入れようと思ったのは、どういうきっかけなんですか?

当時は今よりも、ずっと古典落語を大切にする力が強かったんですね、古典原義主義みたいな。だから新しいギャグを入れると、しかられちゃったりだとか、新しい解釈は許されない感じだったんですね。新作というのも一つありますけど、本来、おもしろくて価値があるから古典落語は柔軟に変化しながら残ってきたのに、それをこの時代で固定化することで、手を入れちゃいけないってなったら、時代は変わっていくのに、このまま古典が廃れていっちゃうっていうのが、私はとても残念だったんですね。
そこで止まってしまうからですよね。

古典落語は時代によって変化してきたから、またこの時代になっても進化を続けるんだっていう風に私は信じていたいので。
ですから、古いまんまの古典落語のホコリを落としたかったっていうのが、改作をよく手掛けていたというきっかけですね。
例えば、私がやっている「テレビ算」(壺算の改作)も、昔は水道が各家庭にないから、水瓶は生活必需品でどの家にもあったんですね。
これが安く買えるといいなって噺は、みんなお客さんが「うんうん」って共感出来てたわけです。
それが今や水瓶なんて、持ってないし、必要もないしで。
今は各家庭に水道がありますもんね。

よっぽど電気料金が半額になる裏ワザみたいなのがあるなら、お客さんも喰い付きますよね。
時代が変わっていけば、中身もそれに合わせて変わっていく方がお客さんにはピントの調整が利くし、「まんじゅうこわい」も昔はまんじゅうと言えば、甘くて貴重品で高価で、子どもも大人も食べたいって思う物だったわけです。
今はもうスイーツがいっぱいあるじゃないですか。
だから、スイーツを主にした「まんじゅうこわい」を改作したりだとかっていうのもそういうことですね。
閉塞感からの脱皮
2022年に、兄弟子の談慶さんとの対談で、「実質20年くらいの見通しで、僕は噺家としての芸風を、がらっと変えてきているんです。若い頃は刺激的なことを目指していたけれど、途中から、志の輔のあとに続きます」って、メジャー転向したとおっしゃっていましたが、それはどんなきっかけですか?

密室で良くない事をやっているという閉塞感ですね。
狭いし、すごい爆発的におもしろいけど、それは世間一般には出しちゃいけないものだったりするっていう、その狭さというのが、すごく不快になってきたんですね。
もっと普通にというか、自分が作った作品だったり、自分のやる落語の中で、その密室でやらなくても、とってもおもしろいものってたくさんあるのに、そのどうしても密室の方でやっていることの方が、イメージにくっ付いてくるんですね。

そっちのイメージを持たれてしまうということですね。

だからイメージを変えて、クリーンでもおもしろいものだったり、いいものを作っているんだからっていうので、そっちを前面にきっちり押し出して行こうと。
まずは一旦クリーンなイメージで、たまに「金玉医者」みたいにやったって、それはこっちのクリーンなイメージがしっかりすれば問題ないよなという風に思ったというところですね。
著書「令和版 現代落語論」の本の中で、伝統芸能でありながら柔軟なのが落語のおもしろいところとおっしゃっていますが、落語の持つ、本来の柔軟性に気付いたのはいつぐらいなんですか?

前座の頃かもしれないですね。
その頃に積極的に落語の本を集めたり、資料を集めたりするようになって、昔の速記本を手にするようになってからですね、衝撃を受けたのは。
「えっ! この噺はこんなだったのか!」っていうようなのがゴロゴロあって、「あっ、この噺は今とは随分変わっているぞ」とか。
古典落語だと、昔からほとんど変わらないままなのかなと思ってました。

でも、先程触れたように、私が前座の頃のいわゆる古典落語は、ちょっとでも変えると怒られたりなんかだったりで。
10年、20年前の状態にしばらく手を付けていないだけで、それまでは随分変わってきたのにというのがきっかけですね。
その意識でその後も吸収していくと「芝浜」って今は大ネタとしてやるけれども、あれは実はもっと軽い噺だったとか。
大圓朝と呼ばれた(三遊亭)圓朝師匠が三題噺で作ったとかっていうのが段々と分かってくると、「待てそれ、明治ぐらいからの話だぞ、せいぜいが」と。

古いたってせいぜい100年前だし、しかも江戸時代から昭和初期まで柔軟に続いてきた変化を停止させてもいいのかってことですね。

実際、硬直した時代っていうのが一時期落語界にはありましたけど、今はもう随分柔軟に戻ったと思うんですけどね。
柔軟性というのを今も私は信じている。
個人的には、さて、これからどっちへ行くんだろうっていうのはありますね。
どっちとは?

この先、柔軟になって行ったのはいいけど、キーワードになるのが、 "江戸の風" だと思うんですよ。
師匠談志が晩年にこだわったセリフです。
新作落語に笑いを詰め込もうとするあまり、コント、漫才を一人でやるバージョンみたいなのになってっちゃったら怖いなと。
あまりに一人で簡便できるお笑いみたいな方向に行ってしまうと、落語というせっかく伝統でみんなが心地良くなれる知恵を集めたものが、いわゆるお笑いの方になっちゃって、それで歴史が終わってしまうと残念だなと思いますね。
伝統性が残らない流れになってしまわないかということですね。

だから、漫才がかつて、伝統芸能「萬歳」で「三河萬歳」だったのが、今みたいにガーって変わってくるのは楽しいことだけれども、ひょっとして、三河萬歳でしか味わえないものってあったと思うんです、きっと。
「あぁ、お正月だね!」だとか、農閑期にこんなおもしろい人居るんだねというような、人を見る目だとか、人間愛みたいなものをひょっとしたら感じたかもしれない。
全く今は変わっちゃったじゃないですか。
今の漫才を観て、元が伝統芸能「萬歳」だったとは、まず思わないですよね。

そこで、落語というのは常々言ってるんですけど、「現代人にとっての心のデトックス」だと。
つまりは、"憂さ晴らし" 。効率的な心地いい憂さ晴らしとして江戸時代につながっているような自分たちのアイデンティティ(自分が自分であること、さらにはそうした自分が、他者や社会から認められているという感覚のこと)も満足させながら無駄噺を聴いてほんわかする、あるいは大爆笑する芸能だと思っているので。一人コントの方向にバーっと行って、現代のお客さんにガッチリ合わせる方向に行ってしまうと、それはおもしろいかもしれないけれども、今の「ほわ」っとした銭湯みたいな、その癒しの要素と言うのは大きく欠けてしまって、それはもはや落語じゃないんじゃないかなと思うんです。
その要素が必要ということですね。

我々が座布団だとか、和服だとか、太鼓と三味線の音に乗って出て来るのを離れずにいるのは、そこに大きな理由が一つあると思っているんですよね。
必ずしも全部が江戸の風じゃなくてもいいけれども、その価値観を持ったネタ、あるいは落語家というのは絶対に必要だと思うと、私は信じていますね。

相手の気持ちや、雰囲気を受信する事が、噺家の仕事の半分
お弟子さんの、噺家に向いている、向いていないはどんなところで判断されるんですか?
適正というか、今後の可能性の部分で。

その人の性格って言っちゃうと早いかな。
人に気を遣えるかどうかですね、大きいところは。
育った家庭だとか、地域だとかにもよるでしょうけれども、周囲を気にしないっていうのは、まず私は才能がないと思ってますね。
つまりは、落語家になったら、目の前のお客さんとの空気を掴めないと、辛い商売だなと。
その空気が分からないっていうのは、どういうことになるかって言うと、自分にはおもしろいけど、みんなにとってはおもしろくないっていうのが分からない、ピンとこないっていうことに繋がるわけですよ。
それに気付けないからですよね。

だから本人はおもしろいと思って色々と喋っているんだけれど、観客としては全然おもしろくない。
それ古いよとか、先にオチが分かっちゃってますよとか。
先にオチが分かっちゃっているような話をしておきながら、「まだ分からない人はおいていきますよ」なんて、更に分かってないだろって言うような(笑)。
その辺の相手の気持ちだとか、雰囲気というのを受信する事っていうのは、噺家の半分方の仕事だと思っているんですよ。

だから「落語家というのは話すだけでなく、感じる商売なんです」とおっしゃっているんですね。

スピークじゃなくて、トーク。
相手の反応を受け止めて、受信して、それを自分の言葉なりで表現にフィードバックしていくっていう、そこが出来ないと辛いよなっていうのが、まずは第一ですね。
ですから、例えば、相手が怒っているのか、いないのかとか、もし怒っているとしたら、何があったんだろうとかね。
この人はどういう人なんだろう、どういうことに腹を立てて、どういうことに喜んだりするんだろうっていうのをピンと感じられるかどうかっていうのは、それは大きいことだと思いますね。
七割ぐらいは出来るから安心しなよ
談志師匠は「富士と桜と米の飯」をよく色紙に書かれていて、談笑さんも好きな言葉ですよね。
言葉の解釈も著書等で語られていたり。
同じくよく書かれていた「人生、成り行き」の言葉についてはどう捉えていますか?

私の解釈としては、"無理するな" ってよく談志が言ってた言葉に通じる気がしますね。
「無理するな、成るように成るさ」っていう、大丈夫だからねって安心させる意味と、あと、「頑張り過ぎるな」と。
頑張るのもいいけど、ほどほどにしないと自分が駄目になっちゃうよっていうようなことで、楽に生きた方がいいよっていうそんな意味でしょうね。「自分が出来ない事を無理にやろうとしてろくなことがない」というのも、よく言ってましたからね。ただ、万人に通じるセリフだとは思わないんですけどね、談志みたいに才能に恵まれて、チャンスにも恵まれてっていう人だからこそ言い切れる言葉だと思いますね。
私が、「人生、成り行きだよ」なんてやったら破滅しますから(笑)。
成るようにしか成らないってことですよね。

そこそこ頑張れば、そこそこ頑張ったなりのことがあるし、出来ない程のレベルで頑張りなさんなってことだと思いますね。
私たちは、録画とか録音じゃなくて、生のライブじゃないですか。
ガッチリ決め込んだ噺をする時だとか、コンクールだったりすると「しくじっちゃいけねぇ」ってなりますよね。
失敗しないようにって思うと、また硬くなりますよね。

気負うものがあるとプレッシャーを感じますよね。

ですから、弟子にも言うんですけど、「七割ぐらいは出来るから安心しなよ」って。
絶対100パーセントとか、あわよくば120パーセントなんて目指すから緊張しちゃうし、おもしろくなくなっちゃうんであって、もう培ったものは培ったもので身体に染み込んでいるから、どう下手打ったて、七割ぐらいは大丈夫じゃないのって、そのぐらいでやった方がいいよっていう風に言ってます。それに通じるのかもしれないですね。