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桃月庵白酒(とうげつあんはくしゅ)
1968年 鹿児島県生まれ
【芸歴】
1992年4月 早稲田大学中退後、六代目 五街道雲助に入門 前座名「はたご」
1995年6月 二つ目に昇進「喜助」に改名
2005年9月 真打に昇進「三代目 桃月庵白酒」を襲名
【受賞歴】
1999年2月 北とぴあ若手落語家競演会奨励賞 受賞
2005年5月 第10回 林家彦六賞受賞
2008年3月 花形演芸大賞「銀賞」 受賞
2010年3月 花形演芸大賞「金賞」 受賞
2011年 平成22年度国立演芸場花形演芸大賞受賞。平成22年度彩の国落語大賞受賞
2018年3月 芸術選奨文部科学大臣新人賞 受賞
二ツ目の半ばに芸を変える転機となった古今亭志ん朝師匠の言葉。
また、他の人があまりやらない噺に目を付けたことや、噺をおもしろくする姿勢。
そして、「気付き」の重要性についてを伺った。
気付かないももちろんあるわけで、気付きへの道しるべ。
作務衣の収集は今もされているんですか?
もうやってないですけど、二ツ目の時ですね。
収集のきっかけはなんだったんですか?
着物で移動しようと思ってた時があったんですよ。
ただ、着物だと結構歩きづらいのと、階段とかあると擦っちゃったりだとか、人が多いところだと汚されたりとかもあるんで。
だったら、似た様なやつで作務衣がいいかなと。
着物よりは楽ですよね。
意外と生地が丈夫なんで、自転車にも乗れるし、一時期は着てたんですけどね。
飽きちゃいましたね。
移動の自転車を2024年の初めぐらいに、電動自転車に変えられたそうですが、その2年ぐらい前には、電動に乗ったらおしまいだとおっしゃていて、どんな心境の変化があったんですか?
運動になるからと乗ってたんですが、高座で足が痙攣することもあって、ちょっとマズイなと思って。
それに、一度電動に乗っちゃうと楽だし、こっちの道は坂だからとか気にしなくていいんで(笑)。
自転車移動をされるのは、プライベートではたくさんの人に囲まれるのが苦手だと過去のインタビューでおっしゃっていたので、東京だと満員電車が多いから、自転車だとそういうことが起こらないからかと思っていました。
それもありますね、人混みが嫌いなんで。
あと、ちょっと閉所恐怖症気味なところもあります。
飛行機とか大丈夫なんですか?
あんまり好きじゃないです、仕事だから行く為に乗るって感じですね。
できるだけ空いてるところにするぐらいちょっと駄目で、満席とかもう嫌ですね。
自伝「白酒ひとり 壺中の天」に、映画「アニマル・ハウス」系のブラックジョークが好きだったので、「オレたちひょうきん族」からも大きな影響を受けたとありましたが、高校生の頃に一番ハマったのはたけしさんで、「ビートたけしのオールナイトニッポン」に夢中になっていたんですよね?
西の情報は鹿児島なんで、テレビで新喜劇とかを観てたんで分かるんですが、東京って知らないんで、そうすると「ひょうきん族」以外の情報となるとラジオで、聴いていて、楽しいなって。
いわゆる裏話を聴くと、昭和の時代だから結構メチャクチャなことをやってるわけですよ。
そういう話を聴くと、何となくそんな世界に憧れるというか、少し違った道も楽しそうだなって。
王道とは違う、ちょっと捻ったところが好きだったのはあります。
師匠である雲助師匠は「必ず節目で名前変えろ」が持論ですが、これはどういう理由からなんですか?
(桃月庵白酒は、前座名が「はたご」、二ツ目昇進時に「喜助」、真打昇進時には「桃月庵白酒」と改名)
節目だからっていうことなんだと思います。
ちゃんと意識を変えろってことなのかは分からないですけど。
でも、変えた方が意識は変わりますよね。
「五街道」から「桃月庵」になると丸っきり変わるわけじゃないですか。
亭号もですもんね。
ほんと一からって感じがして、結構良かったんですね。
二ツ目で一からってなるとご贔屓さんもそれ程いるわけじゃないし、噺家としての方向性も決まってないからちょっと大変ですけど、真打になって、名前が全て変わってどこの一門かも分からないぐらいになると、「師匠に頼っている場合じゃない! とにかく頑張らないと!」ってことになる。
ま、腹を括るとでもいいましょうか。
そういう意味では良かったのかもしれないです。
前座の頃は、噺家に向いていないと思ったのは、どういうところからですか?
人付き合いが苦手だし、職業はみんなそうですけど、結局、人付き合いじゃないですか。
我々の場合は、今はそこまでなくなりましたが、前は必ず落語会が終わった後に、お客さんと打ち上げをするっていう付き合いがあって。
あんまり知らない人と飲んだり食べるのも好きじゃないぐらいだったんで。うちの師匠がそういうのをあんまりやらない人だから、余計にやらなかったんですよ。噺家で一人で動くのが多い分は、まだ利点があったかなと思いますね。
だから、他の職業だったら多分、何をやっても駄目だったかもしれないと思います。
前座修行中に雲助師匠を見て、「いろんな人がいていいよね」と思えたことが、人情噺と呼ばれる噺も滑稽噺として演じるなど、噺にもいろんな表現方法があっていいよねという考えにつながる感じでしょうか?
うちの師匠もそうですけど、(古今亭)志ん朝師匠も色んな選択肢があった方がいいからって、そういう風に言ってくれる人が周りにいてくれたんでね。
でも、そういう人ばかりじゃなくて、意外にこうじゃないといけないっていう人が多いですから。
だから、そう思うと恵まれた方ですね。
二つ目の半ば頃まで、任(ニン:役柄に相応しい「雰囲気、らしさ」)が合わず、芸が暗かったそうですが、周りからも芸が陰気だと言われても、このままでいいと思っていたのは、雲助師匠みたいな落語をやりたいという憧れが強かったからですよね?
当時は、あんまりお客さんの事は考えてなかったんでしょうね。
自分の噺を見せつければイイと。
まぁ、見せつけられるだけの技術があれば良かったんでしょうけど、それも無いですから。
ただの独りよがりだったんでしょう。
丁度その時ぐらいに、二ツ目勉強会(落語協会理事が客席の後ろで聴き、終演後に批評を行う会)で志ん朝師匠から言われました。
どんなことを言われたんですか?
「おもしろさがお客様に伝わるような努力をしないとカネは稼げないし、カネを稼げないんだったらプロでやる必要はないんじゃないか。だったら素人で好きにやってればいい」と。
中々厳しい言葉ですが、それが芸を変える一つの転機になったんですよね?
そうですね、それが一番大きかったと思いますね。
志ん朝師匠は意外に、落語は見せ物だよとかよくおっしゃってましたけど、それを結構きつめに言われたので、確かになと。
また芸ではなくカネの事を言われたことに驚きました。
そういう感じのことは言わないと思っていた志ん朝師匠から言われたってことは、そうなんだって思いました。
お客さんに今日の落語は「良かったね」よりも「楽しかったね!」と思われたいと思うようになったのもこの後からですか?
自分がお客さんだった時にどんな噺が好きかって言ったら、きっちりした噺も好きだったんですけど、笑える噺や明るい噺の方が好きでというのがあって。
あとは、寝る前に観るやつで、カウリスマキ(アキ・カウリスマキ:フィンランドの映画監督)とか信頼の置ける好きな作品、そういうのを目指したらいいなというそっからですかね。
自分には滑稽噺が一番肌に合うと気付いたのはいつ頃からですか?
合うというか、好きだったんですね。
人情噺も嫌いじゃないんですよ、聴くのはいいんですけど、やる分には恥ずかしいのと、覚えようという気力が無いのかな(笑)。やっててそんなにおもしろくないっていうのがあって、やりたいなってネタもなくは無いですけど、だったらまだ、滑稽噺をもっと磨くとか、新しいネタを掘り起こすとか、新作を作った方がまだいいなとか、そっちの方に舵を切ってる感じですかね。だから、そっちが済んじゃえば、もしかしたら人情噺をやるかもしれないし。
今はそう言ってるだけで、分からないです。
それこそ、「芝浜」はやらないって言ってましたけど、やりましたし。
それも何かの加減でしたけど、ただ、そのままの「芝浜」はやらないってことですけど。
お客さんに想像してもらう為に、意識していることはなんですか?
「桃月庵白酒と落語十三夜」の本では、想像させる為に本当はもっと言葉を減らしたいと、おっしゃていましたが。
全てを見せないのが落語の粋だと、チラリズムとも。
なんか一言でパッと広がるような言葉ってあるじゃないですか、それがあれば一番いいなと思って。
あとは、その一言で各々のお客さんがパッと想像するような、そんな言葉探しを今している感じですかね。
だから、その時と変わらないです。
今もどんどん短くなってますから、ネタも。
余計な説明過多はしないというか。
例えば、秋を表わすんだったら、”月”って言えばいいかなぐらいの。
落語の世界観を壊さないようにして、くすぐりを入れたり、サゲを変えてみたりだとか、自分らしくする為に意識しているのは、どんなところですか?
あんまり意識しないようにしてますね。
明らかに異質な言葉も入ってますけど、ある程度口調が固まっているから、道を外し過ぎると戻すのが大変なんで、変則的な外し方よりも、典型的な外し方の方が戻りやすいというようなやり方ですね。
落語は人物を描くのもそうですが、半分言葉遊びとも思っているので、言葉遊びはやりたい。
言葉遊びはやりたいんですね。
言葉遊びは別にちょっと現代の言葉が入っても、あくまで言葉遊びだから、世界観は壊していないなと思っているので、噺の中に自動車が出て来たりなんかすると、世界観が狂うかなと思いますけど、言葉で遊んでいる内はいいかなぐらいに思ってますけどね。
喋っててお客さんが離れたって思ったら、その後はもう余計なことは言わないですけど。
お客さんの事を考えながら自分で遊ぶ、自分が喜んで、遊ぶところはちょっと遊ばしてよっていうぐらいですね。
他の噺家さんが、あんまり内容がおもしろくないと思っていた噺だったけど、白酒さんの噺を聴いて、おもしろいと思うようになったと答えられている事が多いです。
例えば、「代書屋」や「代脈」など。
ご自身では、初めからこの噺はおもしろいという確信があったのか、それともアレンジする中で確信を得た感じでしょうか?
アレンジというか、最初は、この人物はこうじゃないだろうとかいうところからですね。
だったら、こういう感じの人だったらこの言葉は言わないだろうとか、こう言うだろうとか、そっちからじゃないですかね。
その内に言葉が出てきたり、やり取りが出てきたりとかかなと思います。
そういうのが当たったってことですよね? 他の噺家さんが聴いてもそう思ったってことは。
そこまでいくのは微調整はしました。
ちょっとウケないなっていうのがあったり、今のお客さんはこのぐらいじゃないとダメだなとか、ここら辺までだったら許してくれるなとか、あと構成ですね。
これをこっちに持っていった方がウケるとか。
その時のお客さんの好みとか、この4、5年でも変わってますし。
自信を持って出せるネタがあるのは大きいですよね?
やっぱり真打に上がって売り物にならないといけないんで。そうすると、一番分かりやすいのって、売り物になるネタですけど、やっぱりみんながやってるネタはおもしろい分、薄れるんで、誰もやってないネタで、こんなおもしろい!ってなったら目立つし、売り物にすぐになるしっていうのがあるんで。高校の時に世界史の先生が、「世界史をこれからやるんだったらイスタンブールをやってください。誰も有名な人はいないですから、すぐに第一人者になれます!」って言ってましたから。
誰も居ないところを狙えば、すぐに第一人者になれるっていうのは、頭にずっとあったんで。
というので、色々探してて、みんながやらない割にはここをイジればおもしろいのになっていうところからですよね。
この噺をこうしたらおもしろくなるんじゃないかなみたいな閃きは、どんな時に思い付いていることが多いんですか?
他の人の噺を聴いて気付くパターンが多いですね。
この人はこの師匠から教わったんだなとか、この人はこうだったけど、この人が同じようにやったのに、別の人がやるとこう違うんだなと思うと、じゃあここからこうすればもっとおもしろくなるんじゃないかという発想が広がるパターンが一番多いですね。
白酒さんはお弟子さんが現在4人いて、自身の著書では、弟子を取ると芸も人間観も変わるとおっしゃってましたが、教えるというのは、それぞれどう変わりましたか?
純粋に、こう教えたらこうやるんだっていう勉強になりますからね。
ましてや、私の落語が好きで入って来て、普通だったらそのまんまやるはずなんです。
そうですよね。
そのまんまやってるつもりでも、こうなるんだってところが勉強になるのかな。
より客観的にってことですよね。
そうですね、客観性が増すのか、こういう風に見えているのかなっていうのもありますよね。
そこが一番かな。
他の一門のお弟子さんに稽古をつけても勉強になるんですけど、自分の弟子は余計にそれを感じます。
やっぱり自分のお弟子さんだからですか?
自分がうちの師匠が好きで入ったんで、どうしても師匠の真似というか、ああいう風にしたいなと思いますよね。
その内、あれはうちの師匠だから合っているんであって、じゃあ自分なりに変えないといけないと思い、考えてやるじゃないですか。そういう経験をしてるんで、自分の弟子がどうするのかなって思って見てると、これでいいと思ってやってる分と、違うなと思って急にここで変えたなっていうのも気付くわけだし、なんでここで気付いたんだろうとか、なんでここで変えようと思ったんだろうとか、そういうの考えると。
今までと変えた時って、お弟子さんになぜ変えたのかとかも聞いたりするんですか?
それはしないですね。
よく先輩が色々注意したりするんですよ。
ああした方がいい、こうした方がいい、それは違う、あれは違うって。
でも、ほんとに外れちゃったら言った方がいいですが、結局、まだ正解とは思わないですけど、脇道を逸れるのも正解なんだと思ってるんで。
それを、そうじゃないぞとか、なぜこうしたんだって言わない方がいいのかなって思ってるんで。
見守っている感じですか?
うちの師匠もほとんど何も言わなかったですし。だから、あんまり言わないようにしてますね。やってる時はそれが自分が正しいと思ってやってるわけじゃないですか。
間違っているにせよ、絶対プラスになるんで、間違った方向が。
今までの経験上そう思っていて、何一つ僕は無駄じゃなかったと思ってますね。
回り道と言えば回り道ですけど、無駄な回り道じゃないんで。
でも、悩みますよね、自分はこうしたいというのと、他の師匠からはこうしろというので。
悩むのも勉強になるんでしょうけど、僕にとっては騒音でしかなかったんで。
誰かしら言うだろうし、師匠の僕が言うことあるまいと。
よっぽど、高座でいきなり着物脱ぎ出すとかしだしたら、別にそれは高座でやらなくてもいいんじゃないかぐらいは言いますけど(笑)。
お弟子さんの黒酒さんがnoteに書いてましたが、お弟子さんには最初に「噺家とは気付く商売」と教えられているんですよね?
「白酒のキモチ」でも、お弟子さんにどこをどう気付かせるかとおっしゃっていましたが。
便利な言葉ですけど「気付く」ですよね、全てにおいてですね。
だから、今までの仕事は全部師匠のおかげって気付くかどうか、ほんと気付かない人が多いですから。
自分で仕事を取ったなと思ったのは、真打に上がって5、6年経ってからです。
師匠は雲助師匠だったんですねって言われた時に、あぁ、やっと自分で仕事を取れたなって思いました。
それ以外は全部、うちの師匠だったり、もっと言うと、志ん朝師匠、志ん生師匠と、古今亭でいるからっていうのが、そういうところは全部気付かないと、教えても分からないですから。それ全般ですよね。間違っているにせよ、合っているにせよ、そういうのに自分で気付かないと意味がないんで。
言われて気付くのは気付いてないことなんで、そういう意味ではいい言葉見つけたなと思いますよ。
ほんと「気付く」に集約されてますかね。
気付かない人は、そのままでいってしまうわけですよね。
言われても気付かないというか、分からないんでしょうね。
自分が仕事を取って来たから、自分が頑張ったから仕事って言うんですけど、落語家は特にそうですが、ギルド(一人ひとりの自由や裁量を尊重しながらも、チームとして仕事を創る職業団体)ですからね。
新作は別としても、新作も形式を借りてるという意味では一緒なんですけど、特に古典とかは無いわけじゃないですか、著作権が。それをみんなで使い回ししてる、もっと言えば、教えることでネタを共有しているっていうのは。ギルドを作ってこの中で、このギルドに入ったらこれをタダであげる。
その代わり、脇に出さないでねっていうことじゃないですか。
そういうのを考えたら、大体自ずと分かって来そうなんですけど。
それが意外に分かんないんだろうなって思って。
それは内面的な部分もありますよね、言っても響かなかったっていう。
そうですね、「気付くのが商売」というのもある意味ヒントですけどね。
それを言って分かんない人がいるし、もっと分かりやすくこうだぞって言っても、さっきの小言じゃないけど、違うっていう風になるのかもしれない。
雲助師匠は、「私のいい所だけ取っておくように」という教え方にしたら、2番目の弟子も3番目の弟子もそれぞれ自分なりに伸びていった」とおっしゃっています。
白酒さんはお弟子さんに対して、どのように育てられてますか?
好きにやるのが一番ですね。
好き勝手やって、仕事が無くなれば、あっ、と思うでしょうし。
雲助師匠は「人を殺さなければいい」みたいにおっしゃってましたよね。
ほんとそうですよ、「犯罪を犯さなければなんでもいい」と。
それ以外で何かやったのを落語に転化させるようにしろってことなんでしょうけどね。
全部教えようと思ったけど、教えても無駄なもんは無駄だなって分かったっていうのは、うちの師匠が言ってました。
響かないからってことですか?
それもあるでしょうし、あと、向いている、向いてないですね。
さっき言った回り道じゃないですけど、こいつはこっちの道を行った方が後々いいんだろうなとかがあるんでしょうし、そういう意味で、教えるって中には、近道を教えてる部分もあるわけで。
そうですよね。
その近道が必ずしもその人にとって、近道にならない場合もあるんで。
だったら、そういう教え方じゃなくて、こっちじゃなくて、あっちの方がいいよ!って程度ですかね。
だから、西に向かって歩きなさいぐらいで留めてるみたいな感じだと思います。