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三遊亭兼好(さんゆうてい けんこう)
1970年1月11日生まれ。
福島県会津若松市出身。
【芸歴】
1998年10月 三遊亭好楽に入門、前座名「好作」を名乗る。
2002年3月 二ツ目昇進、「好二郎」と改名。
2008年9月 真打昇進、「兼好」と改名。
【受賞歴】
2004年2月「第1回車力寄席グランドチャンピオン大会」落語部門賞
2006年「にっかん飛切落語会」若手落語家表彰努力賞
2007年「にっかん飛切落語会」若手落語家表彰努力賞
2007年12月「にっかん飛切落語会」奨励賞
2008年 第13回 林家彦六賞受賞
2010年 国立演芸場花形演芸会 銀賞
2011年 国立演芸場花形演芸会 金賞
2012年 国立演芸場花形演芸会 金賞
2014年 平成25年度彩の国落語大賞受賞
落語家として充実期の渦中にいる、その心境は如何に。
そして、売れている人にある、共通した “声” や “特徴” とは。
兼好の「明るい高座」の裏側にも迫った。
新幹線が大好きなそうですが、どんなところが好きなんですか?
新幹線の中で寝るってこともないそうで。
自転車の後ろに子どもを乗せると歌ったりするじゃないですか。
そんな感じですよね。
一番仕事が進みますね、事務仕事とかも。
老後の楽しみの為に、ご自身の記事とか、他の噺家さんの記事とかも、影響を受けそうで一切読まれないそうですが、自分にとって大きく影響を受けたものはなんですか?
影響って私、忘れるんですよ。
全然覚えてなくて、これに影響されたっていうのは、ほとんどないんです。本当に影響されないっていうか、例えば、王貞治さんが好きだとして、それで、一本足打法とかみんな真似しますよね。
そこまではするんですが、あっ、これ打てないなって思ったらもうそれでお終いなんですよね。
だから、憧れの人がいないんですよ、今まで一人も居ないっていうぐらい。
多少好きな人は居るんですけど、いわゆるみんなが言う、憧れるまではいかないですね。
それは子どもの頃からずっとですか?
ずっとですね。
こればっかりは不思議ですね。
音楽とかでも、ある歌手が好きだってなっても、CDとか全部集めるってことが全然ないんですよね。
だから、「好き?」って聞かれれば好きって答えるんですけど、いざその好きな人について話し始めると何にも話が合わないんですよ(笑)。そこが困ったところなんですよね。クラシック音楽だったり、お酒のウンチクを語れる人はすごいなっていつも尊敬するんですけど、何にもないんですよね。
しかもその話を聞いて一回は感心するんですけど、覚えてないですしね(笑)。
なんでなんだろうな。
そんなに忘れてしまうんですね。
まず、物を覚えないですから。
人の名前も覚えないですし。
だから、興味ないんでしょって言われちゃうんですけどね。
忘れるということと、落語の噺を覚えるのはまた違うんですよね?
噺も正確には覚えてないので。
だから、毎回違っちゃうんですよね(笑)。
噺の中に名前が出て来る噺も嫌いですし、途中で名前が出て来なかったりすることがまぁまぁあるんで。
その名前が出て来ない時はどう対処されるんですか?
それが分かっているので、名前が出て来るような噺はやる前にさらったりしますけど、結局出て来ない時は違う名前でやっちゃっているんで。
稽古の時も違う名前でやって、後から後輩に「普通の人はこうやってますけど、なんでこの名前でやるんですか?」とか言われて、「あぁ〜、言われてみると、そっちの名前が正解だね」ってことがよくあるぐらいの(笑)。
入門前に、寄席に何度か通って、つまらない人もいて、これなら誰でもできそうと思って入門をしたけど、いざ、落語界に入って、寄席の流れとかもあるから、それは「尊敬すべきつまらない」だと気付いた時に、どう思われたんですか?
すごい世界に入っちゃったみたいな感じなのか、それとも、カルチャーショックみたいな感じなのか。
感動は少ない方なので、カルチャーショックとかはなくて、やっぱりそういうものだから成り立つんだろうなっていう思いがありましたね。
昨年(2023年)出演された「無印良品くらしのラジオ」でおっしゃってましたが、その寄席の流れが変わりつつあるんですよね?
中入り前と、トリがウケる様にという流れから、一人一人が全員ウケようという流れに。
今はもう、中々その二人だけを持ち上げましょうみたいなことでは多分ないでしょうね。
うちらの五代目円楽一門会はそういう意味では、寄席の人数も少ないんで、元々その傾向はあったんですけど、色んな先輩方の他の寄席の話を聞いてると、そこはあるでしょうね。
一人一人が全員ウケようとする流れだと、毎回100%が続くわけで、お客さんは疲れてしまわないんですか?
そうは思うんですが、そう思ってみんなもやってたんでしょうけど、そうしないと今度お客さんが来ないんでしょうね。
だから、どうしているのかが分からないですね今は(笑)、そのお客さんも含めて。
それだけの体力を持って来ているのか、だから、そんなに毎日のんびり来ているというわけではないってことでしょうね。
特別な事をして、2時間成り、3時間成りを楽しもうっていう形にどーんって来ているんじゃないですかね。
そこは今までとは違って来るんじゃないですか。
落語を知らないでこの世界に入られて、だんだん人の落語を聴くのが楽しくなって、上の師匠方のすごさが分かって来た時に、そのすごさに対して、怖気付くとか不安とかは生まれなかったんですか?
そういう感覚がだからないんですよね、私。
強烈に憧れることもないので、逆に強烈に怯えることもないんですよ。
だから、血としてはあまり沸騰しないので、ずっと同じ位置にあって、ものすごいショックってこともないですし、ものすごい不安ってこともないんです。
ま、この世界に入っちゃったからにはやっていくしかないなって、その辺はぼんやりとした感覚で、意外と冷静ですよね。
この人はすごいなって思ったら、結構長い時間を掛けて、なんでこの人はすごいんだろうぐらいの。
すごいなって思う人のいいところを盗もうとはなるんですよね?
盗もうというか、出来るものはやってみようっていうのは。
だから、ある程度全て試してはいる気はしますけどね。
それは自分に合うかどうかの繰り返しになるんですか?
そうですね、それは試してみて。
合うか合わないかとか、それもお客さんの状態にもよりますしね。
なので、同じ事を3回ぐらいはやらないと分からないでしょうし。
そういうのを結構繰り返している状況ですよね、今でも。
「落語は音楽的か絵画的か、大きく二つに分けられるから、どちらかは目指した方がいい」という、好楽師匠の言葉があるそうですが、それを聞いた時に、兼好さんはどちらを目指そうと思われたんですか?音楽的の例:古今亭志ん朝師匠、春風亭小朝師匠(お客さんがその音楽のリズムにノっちゃって、立ち止まらせない落語)絵画的の例:五代目 柳家小さん師匠、柳家小三治師匠
(お客さんの頭の中に絵がすとんと浮かんでくる、お客さんが立ち止まれる落語)
私自身が絵が好きなので、絵画的なものが出来ればいいなとは思いましたね。
リズム感はないので、全然音楽的に綺麗にっていう喋りは出来ないですし。
真打昇進時(2008年)のインタビューでは、どちらも出来たらおもしろいとおっしゃってましたが。
最終的にはどちらもですよね。
今は噺によって使い分けている感じですか?
今はそういう意味では、どちらもって感じはします、全ての噺に。
やろうとは思っていますけどね。
ただ、難しいんですよね、リズムを大事にってなると。
志ん朝師匠みたいに自然に出来る人はいいんですけどね。
志ん朝師匠はあれだけ音楽的にやってて、場面とか人物とかをパッと絵画的にも出せますから。
すごいなと思うんですが、あれもお客さんが半分以上は手伝っているような。
志ん朝師匠だから間違いない! っていうような何かがある。
その辺がまだいまいち掴めないですけどね。
絵画的の例は、五代目 柳家小さん師匠や、柳家小三治師匠なんですよね?
ずっとやってみて、どっちかだけっていうのは無理だって事ですよね。
やっぱり売れている師匠方は両方をちゃんと持っているし、どっちかが強く出るかってことだけで。
小三治師匠は噺のリズムもありますし。
先程の「音楽的か絵画的か」という言葉を受けて、どのタイミングで喋っていこうかという緊張感に繋がるわけですか?
2018年のインタビューでは、ボクシングに例えられていて、1つ1つのネタを見ると左程おもしろい事は言ってないですが、タイミングよくジャブを出しているだけだとおっしゃってましたが。
だからそんなに私おもしろいことは言ってないですからね。
全体的には変わったことは言わないので。
その辺はもうほんとタイミングですよね。
だから、「間」と「タイミング」も違うんでしょうけどね。
その辺も真剣に考えたことはないので。
2008年の真打昇進の際のインタビューで「いつも謙虚さは忘れちゃいけないと思っている」とおっしゃっていましたが、これは好楽師匠の教えなんですか?
うちの師匠はもう始終それは言いますね。
「噺家なんだから」って。
たかがとは言いませんけどね、でも噺家ですからね(笑)。言っちゃあ、あれですが。噺家で卑下することは無いと思うんですが、噺家で威張る理由は見つからないんですよね。
「東京かわら版」での連載「お二階へご案内」で、落語家として人間的に最も成長し、技術にも腕があり、充実した生活が送れるのは、還暦を迎えるまでの12年間だとおっしゃっていました。
今はもうその時期の真っ最中ですが(2024年現在で54歳)、実際に充実感はどう感じていますか?
そうでも無いですね(笑)。
なんだろう、もっと芸について考えたり分かって来たりするもんかと思っていたら、何にも無いですもんね。
今までの延長線上って感じなんですか?
延長線上で忙しいし、バタバタやってるし、目の前の仕事をこなしてますね。
確実にこうすればどうなるっていうのが分かったわけじゃないので、そこは、60代、70代ぐらいまで生きたとして、その時ぐらいの芸から見れば、あの時代の芸が一番良かったんじゃないって言われることなんだろうと思うんですよね。
だから、その渦中に居て、じゃあ、やっぱりこうですねとは無いですね、全然。
充実期の渦中だけど、後年になって気付くかもしれないってことですね。
気付くかもではなく、気付いて欲しい(笑)。
そうなってくれるといいなぁっていうぐらいのもんで。
還暦を過ぎた先輩方が、舌が回らないって言うけど、もっと回らなくなるよとか、そのぐらいまでいくと、あの頃は良かったってなるのかもしれないですけどね。
噺の出だしの声の出し方を意識するようになったのは、笛の先生に、音で相手が受けとる印象が変わるという話を聞いてからですか?
「ソ」ぐらいの音で喋べっていると耳に心地良く相手は安心で、「ラ」は注意は引くけど、普通の会話では不快になると。
そうですね、話を聞いて、ああなるほどなって思ってやってみようと思いましたね。
やっぱり実践してみると全然違う感じなんですか?
なんでしょうね、その人の持っている声質もあるので、実際のドレミファソラシドの音ではないんですが、そういうところはありますよね。
心地いい声と、注意を引く声、不快になる声と色々あると思うんですけど、不思議と色んな人を観ていて、先輩後輩もそうですけど、丁度いい声よりは不快とのギリギリにいる人の方が売れてますよね。
そういう傾向なんですね。
その声っていうのは、持って生まれたものですからね。
多分みなさん計算してやってるわけではないでしょうけど。
ただ、そこで売れる人と売れない人がいて、例えば、(立川)志の輔師匠の声で、あの声を活かさずに高めの声を出そうとして失敗する人がいたり、声に合わない噺をしたりでうまくいかない人もいるでしょうね。
その辺が、売れている人たち、先輩後輩もそうですけどネタの選び方が上手なんでしょうね。
声ってそれだけ重要ってことですよね?
落語の場合ははっきり「話芸」ですからね。
もう顔はどうでもいいんで、声ですからね。
ただし、その、なんでしょうね、ほんの少し、高座に出て来た時の見た目と、瞬時にお客さんは多分何かあるんでしょうね、この人はこんな声を出しそうだとか。
それのズレ方が丁度いいとおもしろいし、またピッタリだとおもしろいしっていう、その加減なんだと思うんですよね。
その声でいいかと言われればそうでもないところが。
見た目とのバランスとか。
あるいは喋り方と声質のバランスとかですよね。
難しいんだろうな。
ただ、一番重要なのは ”声” だと思いますね。
明るい高座の裏には分析というか、実はそういう細かいテクニックが詰まっているということですよね?
そうなんですよ! って言い切れればいいんですけど(笑)。
絵画的なこととか音のこととか、それを知った時に驚きました。
ここまで実はされていたということに。
それはある程度やった後の話であって、それを言葉にするとってことなので、やっている時には、それは曖昧な部分なんですよね。
自分でこうやってみて、先輩方を観て、こういう人がいるなっていうのを、これを言葉にしましょうってなった時には、こっちは絵画的って言えば絵画的ですねっていうような形なので、明確にそれが合っていってるわけではないんです。
なので、いつもそういう事を聞かれると、そこまで考えてはやってないんですけどねってなっちゃうんですよね(笑)。
文章で読むとやっていることが大ごとに見えるけど、同じ内容を会話でだとそこまでではないということですね。
そうですね。
会話で言えば、感覚的にやっているんですけど、じゃあ言葉にするとどうですか? って言われた時にそうなると思うんです。
でも、声だと相当意識しないと変えるのは難しいですよね?
やってみて分かったのは、年齢的に声の張りとか、高音が出なくなったりっていうのはあるんですけど、基本的な声がありますよね。
色々やってみて、そう人間って変わらないってことですよね。
だから、自分がどんな声なのかを知るっていう段階が一番難しいんでしょうね。
自分の声がこんな声だあんな声だっていうのを客観的に聞けるかどうかでしょうね。
そこに関しては意外と客観的にこんな声だなっていうのは、随分早くから分析していた気はしますけどね。
噺をアレンジされたりだとか工夫されたり、今のスタイルでいこうと思ったのはいつぐらいからですか?
私は意外と習ったまんまやっている気でいるんですよ。
習ったまんまなのに、どのタイミングで変わっているんですか?
やっている内に変わったって感じですね。
一回覚えて喋っている内に頭の中で変わって、そういう風になっているんでしょうね。
意識して変えたっていうのは、ほとんど無くて、オチを変えたっていうのはあっても。
例えば「ねずみ」で、主人ではなく、生駒屋さんに喋らせようとかぐらいで。
あとは、そんなに意外に私そんなにイジってないんですよ。
少し変えただけなのに、おもしろさが増すんですね。
習った先輩が必ず入れている話だったり、もしくは入れてるセリフを順番変えたりっていうだけで、もっと言うと、先輩から習った時は、この人物が喋っているだけで、このセリフが丸々こっちの人物が喋っている風にしているってことはあっても、それも私、意識してやってるんじゃなくて、こっちで取り替えてみようではなくて、やってる内に取り変わってたってことがよくあるんですよね。
そっちの方がしっくり来るってなると、そのままやってることが多いです。
特に意識はしていないってことですね。
ものすごく考えて考えてこの方がとか、論理的にとかとは全然ないですね。
ほぼ自然と。
変わっている噺があるとすれば、ネタ下ろしからその形が多いんじゃないですかね。
考えてこれをやってみて次はこれをやってみてっていうのは滅多に無いですね。
2018年の東京かわら版のインタビューで、人数の多い少ないではなく、お客様が満足するオリジナリティを提供できるかどうかが大事とおしゃっていて、過去にも、そのオリジナリティをピカソの絵に例えて説明されていたのが非常に分かりやすかったです。
ほぼどの商売でもそうじゃないですかね。
これだって分かるのが一番いいっちゃいいんでしょうね。
難しいですよね、同じ事をやって、これだってやるのはね。なので、新作なんかは、そういう意味では一本二本いいものを作るってすごい大変なことですけど、それが出来れば、もうそれが看板として出来ますからね、いいんでしょうけど。古典落語を中心にやっていると、それなりに工夫は必要ですよね。
ただし、せっかく古典落語ってキチンとしてあるものを、それをものすごくイジって、あの人が作って、あの人がやる噺は、こういうところが毎回違うよねっていうのは、オリジナリティではない気がするんですよね。
そこは、”変える”ってだけでは違うと思うんです。
何を持ってオリジナリティと呼ぶかってことですよね。
技術的な噺の、昔から伝わっている、伝えて来た噺に対する尊敬もないといけないと思うんですよね。
それを踏まえつつ、オリジナリティは難しいですよね。
放っておけばオリジナリティなんですけど、お客さんが「いいね!」っていうには中々ね(笑)。
そこが難しいところですよ。
お客さんに想像させる為に一番意識しているところはどんなところですか?
これは、どうなんでしょう、そこがマクラの部分なんでしょうけど、信頼感でしょうね。
この人の噺を聴いてやろうかってどう思わせるかってのは、一つの我々の腕でしょうね。
個人技なんですけど、会場の建物だとか、受付の人だとか、椅子だとか、そういう物全てがよしじゃあ聴いてやろうってなるかならないかの色んな部分、細かい部分だと思うんですよね。
環境ってことですね。
それが1割ぐらいだったとして、残り9割は我々の仕事になるんですけど。
その9割の部分の中の聴いてあげましょうのマクラの部分はとても大事だと思いますよね。
もっと言うと、そこさえ、聴いてあげましょうって気持ちにさえなってくれれば、想像しようって形になってくれれば、こっちが多少拙なくても、聴いてもらえると思うんです。
聴こうって気持ちになっているからですよね。
聴こうって気持ちになれば、想像としてはしてくれるし、もしかすると我々がやっていること以上におもしろいことを想像してくれるかもしれないんで、頭ん中で。
その辺は自分の考えている事をきちんとお客さんに伝えようといつも思わないので。
どちらかと言うと、自分がこういう図で、こういう人がこういう風に喋ってるんだけど、そこのお客さんは頭の中でもっとおもしろくしてるっていうのが、こっちとしては楽なので(笑)。
そんな風にして欲しいなと思ってますね。
かなり前から、50代になったら、自分の新たな面を見つけるためにも、“怖い噺”をやってみたい、できれば自分で作ってみたいなと思っていたそうですが、実際にやってみてどう思いましたか?
(2022年8月「人形町噺し問屋」にて、「生きている小平次」を掛けた。)
それは、50代になったらやろうと思っていたので、「生きている小平次」をやりませんか? って話があったので、じゃあやりましょうと。
やってみたんですけど、この手の噺を増やそうっていう何かが変わるっていうのが無かったですね。
ただ、この手の噺をやっていて気持ちがいいって言うんで、やり続ける人が多い気持ちは分かりました。
滑稽噺を数席やって、何回かワーっと笑ってもらうのではない、全然笑い声とか反応すら無い状況でも、やってて楽しめる噺ではあるんだと思いましたね。
これが好きな人はいるだろうなって。
他にも自分の新たな面を見つけるためにやろうとしていることはありますか?
50代は断らないようにはしてます、色んな話を。
この噺やってみませんか? とか、この噺お願いしますっていうのを今まで断っていたのを断らないようにはしてるので、これから何が来るのかは「他力本願」だったりします。
自分で選んだら今までと変わらないので。
噺の好き嫌いは変わらないと思うんですけど、新たにやってみて、もしかすると何回もやってみようという噺になっていく可能性はありますね。
“三遊亭兼好”としての引退を公言されている64歳まで、今年(2024年)であと10年となりました。
隠居しようという思いは今でも変わらずですか?
それは今でも変わらずですね。
だから今、4枚ずつぐらいで宝くじを買ったりして(笑)、早く引退資金を貯めようとしてますけど、中々うまくいかないですね(笑)。