柳家小ふね

「 与太郎と粗忽系が、しっくりくる 」

  • インタビュー・編集:藤井崇史 / 撮影:知久存在

公開日:

柳家小ふね

柳家小ふね(やなぎやこふね)

1993年 福島県福島市出身
東北学院大学卒業

【芸歴】
2017年04月   柳家海舟に入門
2018年03月21日 前座となる 前座名「り助」
2022年05月21日 二ツ目昇進「小ふね」と改名
2023年06月15日 小里ん門下となる

【受賞歴】
2023年 渋谷らくご優秀賞 たのしみな二つ目賞


柳家小ふね 公式ブログ

入門前の学生時代から影響を受けていたものや、弟子入り時のエピソードも。
そして、小ふねの持つ独特さはどのようにして生まれたのか、その過程を伺った。
また、二ツ目の一年目に得た経験が、より飛躍を期待させてくれる。

ビートたけしさんに憧れている

高校時代、大好きで毎日聴いていたラジオから流れてきたのが落語との出会いだったそうですが、特に聴いていた番組はなんですか?

柳家小ふね

「オードリーのオールナイトニッポン」、「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」とか聴いてましたね。

小ふねさんは、教わったことを教わった通りに出来ないと以前におっしゃってましたが、その感じは子どもの頃からなんですか?

柳家小ふね

昔からそうですね。
車の教習所に通っている時にも、教習所の先生から、「お前、教えているのと全然違うぞ!」と(笑)。
ハンドルの動きとかも「独特なやり方になってる」って。

柳家小ふね

親御さんからもその感じは言われたんですか?

柳家小ふね

親からも結構それは言われてましたね。
結局、独自のやり方になっちゃうと。
それで、なんとか形にするみたいな。

でも、それは今の自分の落語に通じるものがありますよね。

柳家小ふね

そうですね。
それはいいことなのか、悪いことなのかは分からないですけど。

ビートたけしさんに憧れているのは、芸人として生き様みたいなところにですか?
丸坊主から、髪を伸ばすようになったり、見習い期間には、浅草ロック座で働いたりされたんですよね。

柳家小ふね

やっぱり僕は、"浅草" への憧れがあって。
浅草で芸人になって、のしあがるというのはカッコイイなって!
たけしさんはほんと "粋" なんで。
「くじら屋」って飲食店があって、そこに売れない芸人が来たらタダで食わせてやってくれとか、「俺もやりたいんですよ!」そういうことを。
でも、出来ない。
まだ、その売れない芸人側だから。
そういう芸人になりたいですね、ゆくゆくは。

憧れるようになったのは落語家になってからですか?

柳家小ふね

もっと前からですね。
ビートたけしさんの自叙伝「菊次郎とさき」のドラマを観て、そこから憧れるようになったんです。
若い頃のタップダンスをしているシーンがあるんですけど、俳優さんが演じていて、それがすごくカッコよくて。
ツービートの漫才も観て、オールナイトニッポンも聴いて、各芸人が話すビートたけしさんの話とかも聴いて、あぁもう最高だなと!
こんな芸人になれたらいいなって思ってましたね、高校生の頃から。

不自然にならないようにする

大学を卒業して、上京されてすぐに入門せずに、お金を貯める為に介護職を選んだのは、どんな理由からですか?

柳家小ふね

大学では、福祉経営を勉強していたから、(小ふねは、東北学院大学 福祉経営学部を卒業)介護の勉強もしていたんです。
元々、介護とかそっちの世界も好きだったので。

それって、自分のおじいちゃんとおばあちゃんが影響していますか?

柳家小ふね

それは、ありますね。
親が介護をしていたので。
それを見て興味があるというか、勉強してみようかなと。
やってたら役立てるかなと思って。

柳家小ふね

昔から(柳家)小三治師匠が好きで、大学時代は独演会にも行かれていたそうですが、小三治師匠のどんなところが好きなんですか?

柳家小ふね

声、佇まい、間、おかしみ、表情、あと、顔もおもしろいんですよ。
噺家として全部を兼ね備えていて完璧だと思うんです。
CDとかでは聴いていたけど、小三治師匠の落語を生で初めて聴いた時に、落語ってこんなにおもしろいんだと思って。
その時の演目が「出来心」だったと思うんですけど、死ぬ程おもしろくて。

そんな小三治師匠に入門しようとは思わなかったんですか?

柳家小ふね

それがですね、思わなかったんです。
なんでか知らないですけど、弟子になろうとかは。

では、小里ん師匠に入門しようと思ったのはどんな理由なんですか?

柳家小ふね

「長短」を聴いたんですけど、もうそれが衝撃的で!

それが大きかったってことですか?

柳家小ふね

スッと静かに噺に入っていって、じーっと聴いていて、気の長い人と気の短い人のやり取りを観てて、それがすごい情景が浮かんだというか。
その時は「長短」の噺自体も知らなかったんですけど、どんどん次こうなるんじゃないかっていうのが頭の中で描かれていって、それで本当にそうなって、それがめちゃくちゃおもしろくて。
なんなんだ、この人は! って。
そういう意味で、落語の本当の楽しみを知ったのは小里んになりますね。

でも、最終的に、海舟師匠のお弟子さんになったのはどんないきさつなんですか?

柳家小ふね

働いていた介護施設に小里んの知り合いの方がいて、その方に理由を伝えて、家を教えてもらって行ったんです。
家の近くで待っていたら師匠が帰って来て、僕はそこで「弟子にしてください」って土下座をしました。
そしたら、師匠は一旦そこから逃げて、もう一回戻って来て、「君、弟子入り?」、「はい、そうです」って。
「こういうことしない方がいいから」って(笑)。
とりあえず電話番号を教えてとなって、分かんないですけど、普通だったらこうすんなりいくってないと思うんです。
それが、案外すんなりいって。

断られるでもなくってことですよね。

柳家小ふね

この日に来てって言われて行ったら、そこに小里ん一門が全員居て、そこで話し合いになって、これいけたなって思って。
その時、師匠は七十歳ぐらいなんですけど、「俺は年だから、お前を真打ちまで面倒見ることは多分出来ねぇから、もしお前が俺のとこで修行したいんだったら、海舟のところに預けるから」って。
それで、「預けて、お前は毎日俺のとこに修行に来い」って。
そういう形だったら取ってやるってなりました。

柳家小ふね

小里ん師匠はどんな教えが基本なんですか?

柳家小ふね

噺を一言一句は覚えなくていい。
くすぐり(ギャグのこと)も別に足してもいい。
でも、不自然なくすぐりだけはするなと。
噺を崩さないような、自然なくすぐりをもしお前がやりたいなら、くすぐりを自分で考えろと。
もしそれで、不自然になってたら俺が言ってやるって。

だからなんですね。
くすぐりを大事にというか、使い方が絶妙な感じがしていて、その辺って意識されていますか?

柳家小ふね

それはしてますね、やっぱり。
最初から、結構くすぐりを足してやって、試していって全然ウケなかったらどんどん削っていって、最終的に残ったのをやってますね。

あの「つる」のアレンジは僕じゃないんです

どの噺も小ふねさん独特の感じになりますが、どの噺も本質を捉えた上で、自分なりに組み立て直すみたいな考え方でアレンジをされるんですか?

柳家小ふね

そうですね、本質からはズレちゃうとマズいので。
そこをなるべく崩さないようにやりますね。

「つる」のアレンジがすごく独特ですが、どうやって、あの形を思い付いたんですか?

柳家小ふね

あれは僕じゃないんですよ。

そうなんですか?
小ふねさんにすごく合っていて、代表作の一つにもなりそうな程の。

柳家小ふね

(柳家)風柳あにさんが知ったかぶりをする隠居さんって形でやってたんですよ。
それがめちゃくちゃおもしろいなと思って。
あんまりこんなオドオドする隠居さんって観たことなかったんで。
これはやってみたいなって教わりに行きました。
ネタバレになるんで、全部は話せないんですけど、設定も新しいんですよね。

そういう経緯なんですね。

柳家小ふね

だから、僕の形ってわけじゃないんです。
あれを作り出したっていうのは、もう "天才だな" と思いました。

普通の「つる」を知っている人からすると、設定のそこをイジっていいんだって思いますよね?

柳家小ふね

あれはめっちゃ勇気がいると思います。
下手すると、怒られる可能性もありそうですし。

柳家小ふね

先入観というか「つる」ってこういうものだっていう、決まりきった形があると思いますよね。

柳家小ふね

全部分解した上で、あそこまでやって。
僕も噺をアレンジするだけに、苦悩は分かりますけど、どう考えても、あの形に辿り着くまでに相当の失敗の課程はかなりあったと思いますよ。
その出来上がったのを教えてもらっただけですから。

自分だけのくすぐりを考え出すようにしている

この噺をこうしようみたいなのは、他の人のを聴いていて、そう思うんですか?
こうやったら、おもしろいだろうなみたいな。

柳家小ふね

そうですね、だから用がなくても寄席に行くんですよ。
その時に他の人の噺を聴いて、おもしろいなと思う部分もあるし、ここをこうしたらおもしろいんじゃないかっていう閃きがかなりあるんで。

そこで思い付いてから、また試行錯誤なんですよね?

柳家小ふね

思い付いたのが正解じゃない可能性が多々あるからですね。
失敗している時は自分だけがおもしろがってやってても、いざお客さんの前でやったら、何もウケない時もあるんで。
独演会以外の場所、それこそ、寄席でやるのが一番ですね。
寄席でウケた瞬間が正解なんで。

どの師匠の噺のアレンジを聴いて、特に影響を受けますか?

柳家小ふね

(三遊亭)萬橘師匠と、(隅田川)馬石師匠のお二人は特にですね。
言葉のセンスだったり、これはすごいなって思います。
憧れるというか。
もう僕の大好きなワードをぶち込んで来るんですよ。
あの言葉をどういう過程で生み出したんだろうって思います。

それだけ好きなら、影響を受け過ぎて真似したくなったりしませんか?

柳家小ふね

だから、変な話ですけど、影響を受けるし、絶望もするかもしれないから、あんまり聴かないようにしていますね(笑)。
なるべく自分だけのくすぐりを考え出すような環境にしないといけないので。

柳家小ふね

前座の頃から既に今と同じ感じのスタイルだったんですか?
古典をそのままやるんじゃなくて、くすぐりを多く入れたりだとか。

柳家小ふね

「道灌」で絶句してトラウマになってから、「二人旅」を一年ぐらいやったんですけど、ウケなくて。
それから、「小ほめ」をやって、「桃太郎」をやったんですね。
どういうきっかけかは忘れましたけど、「桃太郎」をめちゃくちゃ崩してやったら、それがウケて。
それまでは、アレンジをすることもなく、元のままでやっていたんですけど、自分で考えたくすぐりを入れたりしてやったのが「桃太郎」です。

前座の頃から今とほぼ同じスタイルだったってことですね。

柳家小ふね

前座なのに、よくこんな無茶苦茶なことやったなと思いますね。
もはやスーパー前座の対極にいるような、邪悪な、あいつ何してるんだろうみたいな(笑)。
しかも、古典で。なんで許されたのかは分からないですけど、多分、小里んの弟子というのが大きかったんだと思うんですよ。「あの小里んが、これを許すってことは、これは正解なのか?」って思われたんでしょうね、芸人にもお客さんにも。
普通に寄席でもやってましたから。

「くがらく」のインタビューで、与太郎噺、粗忽系の噺しかできないとおっしゃってましたが、その2つが自分の "任" (ニン:役柄に相応しい「雰囲気、らしさ」)に合っていると気付いたのは、それはどんなところからですか?
与太郎を出してる時が、一番自分自身が出るときだと。

柳家小ふね

それは、圧倒的なウケの数ですよね。
こんなにしっくりくるんだっていうのが、与太郎と粗忽系ですね、初めてやった時とか。
芸人からも "任" に合ってるなって言われるんでね。
「本気のバカが出てくるな、お前のは」とか、「そのままの奴が出てくるから、いいなぁ」って。

兄弟子の小もんさんや、(柳家)小はぜさんの落語が自分の理想だったそうですが、自分はあんな風になれないと思って諦めた時に、どこで自分らしさを出そうと思うようになったんですか?

柳家小ふね

そっちが行けないと分かったんだったら、自分の持っている武器で戦わなくちゃいけない。
その武器は何かという答えをずっと探していますね。
自分が何の武器を持っているのか。
それこそ、たまに "フラ" があるって言われるんですけど、その "フラ" っていうのは形が無いじゃないですか。

雰囲気とかですもんね。

柳家小ふね

技術でもないじゃないですか。
じゃあ、それはなんなんだっていう。
どういう状態がフラがある状態なんだと。
どの今言った言葉の中にフラがあったんだ、全部フラなのか。
それが分からないじゃないですか。
みんな具体的なことを言ってくれないんですよ。
「君はフラがあるからね」って。
得体の知れないものに対して、ぼんやりさせておくみたいな。じゃあ、何かっていうのは教えてくれないんでね。「なんなんですか、それは?」って聞いたことあるんです。
そしたら、「いや、それは考えない方がいい」、さらに「それを教えるとフラがなくなるからな」って(笑)。

柳家小ふね

具体的にどうのこうのよりも、今の雰囲気がいい感じを醸し出しているってことなんじゃないかなと思いますね。

柳家小ふね

だから、考え過ぎない方がいいってことかなと思いましたね。
あんまり考え過ぎずに落語をやるみたいな。
他の師匠から「お前の落語は100か0みたいな極端な落語になる可能性があるから、ウケない時はウケないと思え。 こういう時もあるんだ」って。
「そこでお前考え過ぎない方がいい」と。
「とにかく、新しい落語をどんどん覚えて、それでやっていけばいいんだ。 なるべく考えるな」というアドバイスはありましたね。

自分らしさを出す為に意識しているのは、どんなところなんですか?

柳家小ふね

全部のツッコミというか、古典的な切り返し、普通は型通りというか、小技はそのままやるんですけど、そこを全部自分の言葉で言いやすいように変えているぐらいですかね。
元の言葉に変わる、もっと笑いが来るような普遍的なくすぐりがないかみたいな。

その言葉の選択肢を増やす為にしていることはあるんですか?

柳家小ふね

小説とか読んだり、それこそ他のお笑い芸人さんとかのバラエティ番組とかを観て参考にしたりしますね。
そこから盗用してくるわけじゃないですけど、インスピレーション(着想)とかを受けたりはします。

噺の破壊度合いと、力の調整具合が分かってきた

小里ん師匠からのアドバイスで、特に響いたのはどんな内容がありますか?

柳家小ふね

僕みたいなスタイルでやっている人は分かるかもですが、一回強い刺激を与えると、お客さんから、もっと強い刺激を求められるみたいになるんですよ。
そうなってくると、自分でも加減が分からなくなって、もう何もかも噺を破壊しようみたいになっていた時期があったんです。

お客さんの期待にも答えようとするあまりってことですよね。

柳家小ふね

そこから改め直して。
師匠方にも言われて、破壊加減が分かるようになりましたね。
「お前、今おかしいぞ。 そのままだと、ダメになる」って。

柳家小ふね

それは二ツ目になってどのくらいの時期ですか?

柳家小ふね

一年目ぐらいの時ですね。

「東京かわら版」の月コレで、落語をやって、「なぜウケた、ウケない」の自分の答えをまだ出せていないとおっしゃってましたが、少しずつそれは出せるようになってきましたか?

柳家小ふね

それはまだ分からないですね。小里んと一緒に行った地方での会で死ぬ程すべった時に、小里んにも聞いたことがあるんです。そしたら、お前の落語は、落語を聴き倒した人に刺さる落語かもしれないからって。
だから、そこをもうちょっと落としていって、軽く残すっていうのをした方がいいと。
全部、落語マニア専用みたいな、コアな落語になりかけてるからって。
その線は残していいんだけど、それを全部に対してしちゃうと、通用しなくなると。
つまり、全部がその感じじゃなくて、パンパンって一部分だけでもいいから残すようにすればいいと。

どこでも、全部100パーセントの力でやるなみたいなことですよね?

柳家小ふね

正にそういうことです。
その按配を考えろって言われたんです。
それは、小里ん以外の他の師匠にも同じことを言われました。

それも二ツ目になってどのくらいの時ですか?

柳家小ふね

それも一年目ですね。

そう考えると、一年目に得ている経験って非常に大きいですよね?

柳家小ふね

かなり大きいですね。
噺の破壊具合だったり、力の入れ方のバランスが取れるようになったりだとか、まだ早い段階で気付かせてもらっているというか。

二ツ目になって現在(2025年)三年目ですが、こうなっていきたいという目標とかありますか?

柳家小ふね

とにかく、今はやりたい噺をがんがん覚えて、それをお客様の前でどんどん掛けていくことですね。

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