桂小すみ

「 "三味線"と "洋楽" を組み合わせることで開けた 」

桂小すみ
  • インタビュー・編集:藤井崇史 / 撮影:坂木亮太

公開日:

桂小すみ写真:橘蓮二

桂小すみ(かつらこすみ)

音曲師

1973年生まれ、神奈川県横浜市出身

【芸歴】
2003年
落語芸術協会にお囃子として入会
2018年
桂小文治門下、音曲師「桂小すみ」となり1年間の前座修行に入る
2019年
3月 前座修行終了
【受賞歴】
2020年
令和元年度花形演芸大賞 銀賞
2021年
令和2年度花形演芸大賞 金賞
2022年
令和3年度花形演芸大賞 大賞
2023年
第40回浅草芸能大賞 新人賞
2024年
令和5年度(第74回)芸術選奨 文部科学大臣新人賞
2024年
第73回(令和6年度)横浜文化芸術奨励賞

桂小すみ | 落語芸術協会

桂小すみ | note

明るいキャラクターと、独特のセンスを三味線と合わせて魅了する音曲師、桂小すみ。
音曲師になるまでの経歴や、三味線と洋楽を組み合わせる閃きなど、「今」に至るまでを伺った。

挫折を経て、お囃子に

幼少期から、音楽に触れられていますが、絶対音感を持っていることに気付いたのはいつぐらいですか?

桂小すみ

そういうのは分からなかったんですけど、例えば、幼稚園で習ってきた歌をお家に帰って弾くっていうのは、ありましたね。

耳にした音がドレミとかで、すぐに分かるんですよね?

桂小すみ

たくさん同時に鳴ってたら全部は正しくなかったかもですけど、5歳の時に、ピアノも習い始めて楽譜もすぐに読めていましたね。

6歳の時に、「日本昔ばなし」を録音して聴いている内に、話の中の効果音に目覚めるとか、そこに着目する感性がすごいですよね?
まだ子どもなので、純粋に話がおもしろいだけで終わりそうなのに。

桂小すみ

「日本昔ばなし」はアニメだけじゃなくて、ラジオもあって、それを父がカセットに録音してくれて。
当時の効果音は打ち込みではなく、楽器で演奏したBGMだったと思います。
繰り返し聴いている内に、それに魅了されたんだと思いますね。

桂小すみ

ウィーン国立音楽大学に国費留学して、ミュージカル専攻に進学されたのに、帰国後は、教員を2年勤められていますが、ミュージカルの方面に進もうとは思わなかったんですか?

桂小すみ

「劇団四季」を受けてみようと思って、書類を送りましたが、書類選考で落ちた時点で、縁がないかなと思っちゃったんですね。
宝塚もテレビでしか観たことがなくて、ミュージカルは、とってもなんというかアメリカチックじゃないですか。
なんと表現したら良いかわからないですけど、常にキラキラしているというか。
それが、20歳そこそこにして、そのうち精神的についていけなくなりそうというか、違うのかな? と(笑)。
大好きですけどね、ずっと一生は難しいと思ったんです。

その後の1997年10月に、オーケストラアジアのコンサートで「琵琶協奏曲」に感銘を受けて、「これを "三味線" でやりたい!」と、三味線弾きと三味線の作曲家になることを決意したそうですが、それまで完全に西洋の音楽に触れていたところから、それを封印してまでなりたいと思ったのは、それ程の衝撃だったんですね。

桂小すみ

三味線は19歳からやっているんですけど、私が習っていたのが野口美恵子先生で、とてもすごい方でした。
野口先生が、そのコンサートの翌朝に亡くなったんです。
劇的な一日でした。

コンサートで衝撃を受けて、夜通し三味線弾きになると決意のお手紙を先生宛に書き、翌日それを出す前に先生の訃報というのはなかなかの大事件ですよね。

桂小すみ

悲しみと後悔自責の念で泣きまくり、歌も歌いたくなくなりました。
でも泣いてばっかりいられないし、三味線の新しい曲がなかなかないから、創りたいと思ったんです。
作曲はこどもの頃からしていて、大学卒業時は三味線と尺八二管の作品で卒業しました。
その時も野口先生にも色々聞いて、「三味線はなかなか新しい曲がないのでたくさん作ってね」と言われまして。
お箏と尺八は山ほどあるみたいなんですけど。

そうなんですか?

桂小すみ

当時から三味線は洋楽の作曲家の方が手を付けにくい楽器みたいです。
だから「これからいっぱい書いてね」って言って下さった先生が亡くなったのと、私もそういうのが弾きたかったし。
でも、まだその時は、長唄とかも何もやってないんですよ、唄の部分は。
むしろ、洋楽育ちだったから長唄は訳が分からなくて拒否していたぐらいで(笑)。
クラシック畑にいたから、普通の人よりも江戸の音が遠かったわけです。

それでも、始めることになるんですよね。

桂小すみ

とにかく三味線をやるんだったら、長唄から逃げていられないから、やってみようと思って。
浮き輪なしで海に飛び込む心地で、杵屋佐之忠きねやさのただ先生に弟子入りしたんです。

桂小すみ

そこから、三味線弾きでも、歌舞伎の音でまず衝撃を受けたんですよね?

桂小すみ

佐之忠先生はその時すでに劇団前進座で50年演奏されていました。先生から伺う歌舞伎の三味線とセリフや動きの関わり方が、オペラとかミュージカルの音楽とセリフの関わり方と全然違うんですけど、それがとにかく「おもしろい! 素晴らしい!」と思って、当然の如く「やりたい」と思ったわけです。
ですが、歌舞伎の黒御簾くろみす音楽(舞台下手の黒御簾の中で演奏される音楽)は、男性しか演奏できないことを知って、挫折です。
もう挫折ばっかりなんですよ(笑)。
声楽をやりたかったけどダメだったし、ピアノ、フルートも下手だったし、ミュージカルも。

そこで寄席囃子は女性だけというのを聞いて、国立劇場寄席囃子研修生になり、寄席囃子なられましたが、「春風亭昇太と乾貴美子のラジオビバリー昼ズ」に出演された際におっしゃっていた、寄席囃子のおもしろさってどんなところですか?
寄席は皆様に喜んでいただく、江戸時代からの工夫が詰まっていると。

桂小すみ

あのラジオの時に昇太師匠からは本を書くようにお勧めいただきました!とても一言ではお伝えしきれません!!歌舞伎の黒御簾もそうなんですが、分かりやすく説明すると、"空気感" ですかね。
この音が鳴っていることによって、お客様は異空間に飛んでいくんです。
または、太神楽や奇術での一体感のすごさですね!
もう、師匠たちがすごいから、"宇宙" との一体感って言ってもいいぐらいなんですけど。
その場の雰囲気を感じ取って、それに合わせた "音" を脊髄反射で、瞬時に出すんです。
いや、これはカルチャー講座を持たせていただいて2時間月一で2年間でしたか、、実演を交えてお話しさせていただきましたが、素敵すぎていろいろあってもう、、、簡単には言えません(笑)。

音曲は "三味線ミュージック"

音曲(おんぎょく)とはどんな芸能ですか? と、よく聞かれると思いますが、分かりやすく言うと、なんと答えられていますか。

桂小すみ

音曲という言葉からは、三味線を弾いて唄う、というのは浮かばないと思うので、シンプルに言うなら、"三味線ミュージック" ですかね!

お囃子から音曲師になったきっかけはなんですか?

桂小すみ

(玉川)スミ師匠に「さのさ」の三味線の弾き方について質問したことがきっかけで、稽古をつけていただけるようになったんです。
そうする内に「舞台で勉強しないか?」と。
師匠の芸能生活90周年の会で初高座を予定していたんですけど、その前に師匠がお亡くなりになったんです。

桂小すみ

それから5年後の、2017年4月にお囃子さんから音曲師になることを決断されたそうですが、亡くなられてすぐに音曲師になろうとは思わなかったんですか?

桂小すみ

高座に上がるなんて、とても恐ろしいと思っていたから(笑)、その話がお預けになって、ホッとしていた部分もありました。
そもそも寄席囃子に憧れがありますし。
スミ師匠にお稽古つけていただけて高座へお誘いいただくなんて夢のようなシンデレラストーリーだと思いますが、実際は蛇に睨まれた蛙みたいな状況で、「はい!」と言ったところもありましたので。ものすごく光栄な反面どうしていいかわからなかったです。あと当時、お囃子さんが足りなくて、国立劇場の研修の募集も12年くらいなかった状況で、新しく入って来た新人さんが一本立ちするまでの期間も必要でした。
そんな時に師匠である(桂)小文治のおかみさん、古田尚美お姉さんが、「もう大丈夫だから動こう」って言って下さったんです。

スミ師匠が亡くなった後ですが、まだお囃子の時に、寄席と子育てでヘロヘロになって大変な時に、電車の中で、スミ師匠にそっくりな方に遭遇されたんですよね?

桂小すみ

電車に乗っていたら、ドアのところにスミ師匠が居らっしゃる!! と思って!
その時に、「芸も子育ても一生懸命やれ!」というようなインスピレーションが、はっきり飛んできたんです。
言葉を噛みしめて、よし頑張ろうと決意して。
で、まさかと思うけど、と近寄ってみたら、お顔立ちも全然違う人でびっくり(笑)。
でも、そのことがあって、ふわっと心が軽くなりましたね。

桂小すみ

喝を入れられたわけですよね。

桂小すみ

そうかもしれませんね。
あと、似たような感じだと、私の祖母が「苦労は買ってでもしろ」ってしょっちゅう言ってたんです。

それは昔からよく言いませんか。

桂小すみ

よく言うことだけど、それが、自分のことだとは思わないじゃないですか。
それで、「苦労を買ってみましょう」って決意したら、心が軽くなったんです。

自分で苦労を望んでするからですよね。

桂小すみ

わざわざ買うんだ?(笑)みたいな。
よし、では買っちゃいますよって(笑)。

他にも、40代半ばからの寄席での前座修行中に、体力的に大変な時に、奮い立たせてくれたのが、布施明さんの歌声なんですよね?

桂小すみ

そうそう(笑)。
「君は薔薇より美しい」ですね!
聴くとすぐにニヤニヤしちゃいます。
前座中も仲間から、「またキミバラ聴いて来たんですか?」っていじられたり(笑)。
豊かな声を聴いて、スッキリして元気になるっていうのは、生声だと(柳亭)市馬師匠で体験しているんですけど、うわ〜いい声だ〜!! みたいな。
それと似たような感じです。
あと、布施さんのカッコ良さです(笑)。

桂小すみ

"七七七五調" に洋楽がピッタリ合う

お囃子から、音曲師になったことでの気持ちの変化ってありましたか?

桂小すみ

お囃子は、なんというか、ずっと「影に潜んでなさい」みたいな。
長唄では、佐之忠師から「杵屋佐之萌きねやさのもえ」と名前をお許しいただいてまして、長唄の勉強もしたいわけなんですけど、舞台に出るなという圧力は実のところすごく嫌でした。
お囃子の為だっていろんな勉強しないと上達しませんし。
師匠からのお誘いはありがたく勉強させていただきましたが。

今は舞台に出るようになって解放されていますよね?

桂小すみ

だいぶ解放されたのだと思いますが、寄席はチームワークですから考えます。
高座にひとりですからお客様には喜んでいただきたいという責任があり、かつ落語の邪魔にならないように何ができるのか。
そこはまだ年季が浅いので、気を抜かずにこう、力を抜くっていうのは至難の技ですから毎日崖っぷちの心地です。

お囃子生活15年を経て、いざ音曲師になり、舞台に立つようになって、お客さんの反応は思っていた通りでしたか? それとも、違いましたか?

桂小すみ

三味線の音色は素晴らしいので、それって普通に聴いていただいたら喜んでいただけるのかなと思っていたんですけど、全然そんなことはなくて。
長唄の「越後獅子」でさえも、「なんですか、それ?」みたいな。
私の責任なんだろうけど、高い壁がある感じがしたんですよ。
スミ師匠が用意してくださったプログラム、「越後獅子」やって、「さわぎ」唄って、「さのさ」唄って、「二上り新内」唄って、「柳の雨」唄えと。
難しい唄であっても、古典だし、「そういう唄が昔あったんですね、あぁ・・・」みたいな反応で。

今の時代と乖離があるからですか?

桂小すみ

乖離もあるのでしょうし、私が三味線を習ってみてはじめて分かった面白さをただ「これいかがでしょうか〜!!」って出してみてもやはりお馴染みがないとお客様は、ご自身が「よく知らないな」ってことにちょっと引目を感じられるのかなぁというか。
そういう壁がどんどんあるように感じて、これは本意ではないなと思って、早々に困ったわけですよ。

そこから、どう試行錯誤されたんですか?

桂小すみ

そこで、解説をご紹介してみたり、あとはお耳馴染みのありそうな "洋モノ" ですよね。
少しずつですけど。
「三味線」と「洋」の組み合わせを徐々に作り出して、実験というか、どこまでやったら怒られるんだろうみたいな(笑)。
あとは、お客様がこれをどういう風に感じてくださるんだろうかって。
ほんと、こんなことをしておいて、恐ろしかったです。
楽屋からは怒られるだろうと思ってましたし、お客様からは「何それ?」って言われるかなと思ってましたから。

桂小すみ

でも、結果として、それが受け入れられたわけですよね?

桂小すみ

まだ怖い部分もありますけど、思いの外受け入れてくださってますよね?(笑)。
お客様が柔軟で、私よりも。
やっぱり洋風な音楽の方が慣れておられるんだなと感じます。
そういう江戸以外のものは、一高座でひとつだけにするようにしているんですけど。
民族音楽って世界各地にあるじゃないですか。

ありますね。

桂小すみ

それぞれキャラクターが違ってますよね?
クラシックはとにかく聴いていて美しく分かりやすいし、インドのラーガなどは瞑想というか神秘的というか、バリ島のガムランもケチャも、ものすごくおもしろいし。
日本の中ですら、三味線の音楽もあんなにいっぱい種類があって。
長唄の場合はすごく「修行色」を強く感じてまして、私の個人的な感想ですけど。

特徴が豊富ですよね。

桂小すみ

そうすると、色んな音楽が世界中にありますけど、全部と言わないまでもたくさんの音楽に出会えて楽しめたら、それは一人の人間をあらゆる方角から豊かに進化変容させてくださる、神様からのいただきものではないかと思ったわけですよ。
好きなジャンルしか聴かないとか、そういうことではなくて、色んな音楽をみんながそれぞれの場面で折々にいろいろ楽しむというか、音楽を通して新しい世界に出会えたら、どんなにこころにいいでしょうかと思うんです。

だから、組曲「隅田川」で、ナイル川とか、世界の川を作られているんですね。

桂小すみ

ナイル川は、まだ実際に行ったことはないんですけどね(笑)。
ラ・プラタ川の方は、「道成寺」をテーマにしたものと考えているんですけど。
そんな何百年も前からテーマが恋愛の、追いかけて追いかけてというのと、ピアソラ(アルゼンチン・タンゴにクラシックやジャズの要素を融合させた「ヌエボ・タンゴ」の創始者)の情熱的な「リベルタンゴ」が合うなぁ〜と思って。

隅田川の都々逸で、「隅田川さえ 棹さしゃ届く なぜに届かぬ わが思い」というフレーズが七七七五調という日本語にとって大事な調子とおっしゃっていましたが、これが大事なのは、昔の和歌が七五調だからですよね?

桂小すみ

和歌って五七五七七で、これだと長いんですよ、さらっとやるのには。
逆に、俳句の五七五だと短いんです。
"七七七五" って尺がなんというかピッタリなんです!

桂小すみ

都々逸の七七七五調に、洋楽の曲が合うというのはすぐに気が付いたんですか?
「伊勢音頭」とマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」を組みわせようとか、よく思い付きましたね。

桂小すみ

マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」から気が付いたと思います。
すごくビックリしましたよ!
サイズ感が合う! って。
「伊勢音頭」の歌詞で「木遣り」のテイストも入れてマライア・キャリーが歌えたので。
外国の歌と、日本の唄って全然別個に考えていたし、七七七五だと短いと思っていたし、いい段落でAメロとか、丁度入ったっていうのが、すごい驚きで。
無理なく入るっていうのが。

他の曲でも試されましたよね。

桂小すみ

それで実験してみたら、ホイットニー・ヒューストンの代表曲「I Will Always Love You(オールウェイズ・ラヴ・ユー)」とかも入るわけですよ。
あの、サビの始まりが "エンダァァ" の。

それを高座でやってみた時の反応はどうだったんですか?

桂小すみ

初回から反応が良かったんですよ!
分かってもらえたというか。
寄席で先にやったのが、「I Will Always Love You」でしたね。
寄席だと、マライア・キャリーはクリスマスしかできないから(笑)。

タオ療法で、ネガティブからポジティブになった

2022年の朝日新聞のインタビューで、演奏より心の中身が大事で「明るい未来をお客さんがつくるっていう念力をかけてます。」とおっしゃっていましたが、音曲師になった当初からこの心掛けなんですか?

桂小すみ

これは2008年からその心掛けですね。
指圧を習い始めてからなんですよ。
シコリを取るというのと同じで。
だから、指圧みたいな音楽がやりたいんです!
そういうのを込めることで、感じてくださるお客様もたくさんいらっしゃいまして。

だからサイン色紙にも「Bright Future」(訳:輝かしい未来・明るい将来)と書かれているんですね?

桂小すみ

そうなんです!
明るい未来という言葉を聞いた時に、だいたい信じられないじゃないですか?
いや〜そうは言っても、とか、だってこんな状況なんだしとか色々言い訳とか不安が浮かんでくるでしょう。

桂小すみ

未来のことだからですよね。

桂小すみ

このどうしても浮かんでくるマイナスなものをどうにかするっていうのが修行になるそうですよ、仏教においては。
いわゆる "煩悩" ですね。
それをどうにかするのは人間にはできないらしく、お釈迦様の説明によると。
そういうのを燃やし、溶かしてくれるのが、不動明王様の炎だったりとか。
そしてよきものへ転換していただくという。
自分でなんとかできると思うと、逆にエゴが強くなるそうです、俺はできるしみたいな。

そういう念力をかけつつ、三味線は音色の複雑さが魅力だから「この一音が世界を変える」という気合で弾かれているんですよね?

桂小すみ

それは一番初めに習った、野口美恵子先生が、「一音成仏」って気合いで弾くんだという教えで。
当時は意味が分からなかったんですけど、東洋医学だったり指圧や仏教の話を聞いていると、そういうのと一緒なんです。

「人生って基本的に辛くないですか?」と、東京かわら版でおっしゃっていましたが、高座でも非常に明るくて、経歴も、子供の頃から音楽の道で、運の良さもあったり、私生活でもお子さんが三人居て、圧倒的に幸せな方が多いように思うんですが、どんなところで基本的に辛いなんですか?

桂小すみ

ん〜、不安と絶望ですかね。
それが底辺にずっとあるっていうか。
もちろんこれまではどんな状況でも幸せだと思ってきました(笑)。
でも子どもの頃からそれはありましたね、生きてるのは辛いみたいなの。
親はもちろんちゃんと育ててくれましたけど、世代かもですけど母に理解されて受け入れられている感覚がなくて。
条件付きみたいな。
成績が良い方がいいとか、お利口さんの方がいいとか、良いとされているものが多い方が受け入れられるけど、それがなかったらないみたいな。
安心感がないというか居場所がないというか。
だけど、大人になるまでは育ててもらわないといけないと思うから、つとめてがんばったんですね。
もちろん、感謝はしていますが。
だから、わがままですよね。(笑)

そういう不満をどう解消されていたんですか?

桂小すみ

そういう感情を、音楽がかなり救ってくれましたね。
思春期なんかは特に。

でも、そのネガティブな考え方が、タオ療法の勉強を始めて覆ったんですよね?

桂小すみ

指圧を習ったおかげで、楽に生きられるようになったんです!
指圧って、圧しているのは体なんだけど効いてくるのは心なんですよね。
助かりました!
もう人生が変わりました!
ネガティブがポジティブになったんです。
タオ療法では、仏教の「利他の祈り」や「慈悲」の精神がベースなので、ネガティブを見つけて、ひっくり返すっていう修行なんです。
無意識を意識化するといいましょうか。

桂小すみ

色んなことがつながっているんですね。

桂小すみ

無茶苦茶な人ですねって言われることがあるんですけど、伏線を回収しているみたいな感じです。
昔に触れていたものが、今に活きていることもあり、実はみんなつながっているんですよね。

そう思うと、子どもの頃から、これをやりたいって決めた後の、熱量と行動力は凄まじいものがありますよね?

桂小すみ

どうなんでしょうね。
自分では足りないとしか思いませんから焦るばかりで。
まぁ"好きだから" ですね。

それに、チャレンジ精神も持ち合わせていますよね。
同じく2022年の朝日新聞でのインタビューで、音曲師としての3年間を振り返ってと聞かれて、高座で実験しまくりだとおっしゃっていました。
それから、更に4年経ちますが、今はどういう状況ですか?

桂小すみ

今も曲を作ったりアレンジしたり、ここ2年ぐらいはコラボも増えました!
吹奏楽、オーケストラ、木管五重奏、オーボエ六重奏、ジャズのビックバンドさんなど。
クラシック、ジャズ、ロックの方々と一緒にやる為に、自他の楽譜を書くというのもずっとやっていて、感覚としてですけど、学生の頃に、クラシックの側に居た時に三味線を弾いた時は、全然相手にされなかった感覚が強かったのですが、最近は、「日本の音楽っておもしろいんですね!」って言ってもらえるようになりました!

もう実験の状況ではなくなっているってことですね。

桂小すみ

そうですね。
どうやってお楽しみいただこうかという、創作で挑戦です。

桂小すみ

その次ももう考えてられますか?

桂小すみ

どんどん楽譜を書きます!
あと、新曲も。

ソングライターだと、「愛しのカレー」や、「れいぞうこの唄」の感じですよね。

桂小すみ

先日気付いたんですけど、私は「私は怪しいものではありません」って(笑)、主張しながらつくってるんですいつも。
そういう弁解みたいな。
だから、「三味線はこんなに素晴らしいです! いろんな方がそう言ってるんです。
こんな他の音楽と混ぜても、ほらおもしろいでしょ! こういうのは、あっちでもこっちでもありますから」っていうやり方をしているわけですよ。
怪しいと思われるのが嫌だし。
私の歌を聴いた指圧の先生から、どっかで聴いたことのあるような感じの曲ですねと言われて、それはそういうつもりで作ってるもんな! と。
だけどこの間、どなたでしたか、「誰もやったことがないことがやりたい!」っていうのを聞いて、指圧の先生も同じくそうおっしゃるのですけど、私にはそういう、発想はなかったなと思って眼から鱗です。

そっちの願望もあるんですか?

桂小すみ

そういう視点も入れてみてもいいんだろうなと思います。
なので、今までとは違うような曲も作るかもしれませんね。

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