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桂宮治 インタビュー

「 今さらながら、自分の人生変える落語ってあるんですね 」

  • インタビュー・編集:藤井崇史 / 撮影:坂木亮太

公開日:

桂宮治

桂宮治(かつらみやじ)

2008年2月 桂伸治門下として二月下席より浅草演芸ホール楽屋入り
2008年3月 浅草演芸ホールにて初高座「子ほめ」
2012年3月 下席より二ツ目昇進

【受賞歴】
2012年 NHK新人演芸大賞 落語部門 大賞
2013年 にっかん飛切落語会 最優秀賞
2014年 前橋若手落語家選手権 優勝
2014年 2014年度国立演芸場花形演芸大賞 銀賞
2014年 にっかん飛切落語会 最優秀賞
2015年 第26回 北とぴあ若手落語家競演会 北とぴあ奨励賞
2015年 第2回 高円寺エトアール寄席二ツ目グランプリ決定戦 優勝


桂宮治 公式ホームページ

現在、最も勢いを感じられる若手落語家の一人、桂宮治。
二ツ目昇進した2012年には、わずか半年程でNHK新人落語大賞を受賞。
その後も数々の賞を受賞するなどその実力が大きく評価されている。
そんな彼の高座で見せる元気さの裏側とは。
趣味が子育てという家族への想いとは。
そして、落語との衝撃的な出会いや師匠への想いを伺った。

家族愛というのものに飢えている

プロフィールに趣味は「子育て」とありますが、お子さんが三人いらして、独特の子育て論があるんでしょうか?

桂宮治

朝起きたら「おはよう」、寝る時に「おやすみ」、なんかあったら「ありがとう」。
とりあえず挨拶と礼儀だけはちゃんとしなさいですね。

他には?

桂宮治

うちの家族の想いっていうのは「時間があったら常に一緒にいること」。
一緒にどっか行く、一緒にご飯食べる、一緒に遊ぶ。
なんでかというと、自分の子供時代に家族みんなと一緒に食事をするってことが無かったので。
だから僕が子供に依存してるんですよ、多分ね。
家族愛というのものに飢えているというか。

桂宮治

師匠である( 桂 )伸治師匠の教えの一つが「嘘と泥棒するな」ですよね。 それは自分の子供にも同じ教えですか?

桂宮治

まあそれは、噺家じゃなくても当たり前なんですけど。
外でなんかのタイミングでついてしまう嘘っていうのは世の中誰しもあると思うんですよ。
そういうことじゃなくて、信頼できる家族の中で、泥棒なんてダメだし、嘘もつくなっていうのはもちろん言いますよね。

宮治さんが子供にしつけで怒ることもあるんですか?

桂宮治

僕あんまり子供には怒らないんですよね。
うちのカミさんが子供に結構怒るんで。
僕が怒る時は、兄妹ケンカして本気で殴ったりとか、あとちょっと本当にマズいなと思う時だけ真剣に怒りますね。
ただ、そのままずっと怒ることはしないし、子供が反省しているってことが分かれば、許してあげるきっかけ作って、あとはもうその後はずっとまたキャッキャッして楽しく。

神田松之丞さんとの対談記事で読んだんですけど、いまでは想像できませんが、宮治さんは子供の頃、登校拒否児だったんですよね?

桂宮治

僕いまでも人付き合いは大っ嫌いなんで。
だから、人のいるところには自分から手を挙げて行かないですね。

桂宮治

登校拒否の理由が家にいた方が楽だからっていうことですよね。

桂宮治

そうですね。
学校に行くのが嫌で、疲れるじゃないですか、友達といると。
人間関係も構築しなくちゃいけないし。

(笑)。

桂宮治

もちろん学校に行ったら行ったで楽しくキャッキャッしているんですよ。
父親と母親が土日も仕事で、夜も飲食店をやっていてすごく繁盛していたんですね。
だから、ほとんど家族団欒というのが無くて、おばあちゃんとばっかり。
姉ちゃんが三人いるんですけど、高校生とか社会人とか歳が離れていたんで。
火曜日がお店の定休日で、父親と母親が家にいるから学校に行きたくないっていうのが始まりですね。
そっからやっぱり家にいる方が楽っていうか、楽しいみたいな。

家族と一緒にいたかったんですね。

桂宮治

そういうのがあるんじゃないですか。
それもあるし、人付き合いが嫌いというのもあるし、両方があって学校に行かなかったのかな。

桂宮治

登校拒否じゃなくなったのはいつからですか?

桂宮治

親が離婚した中一ぐらいからちゃんと学校に通うようになりました。
皆勤賞とか取ってましたし。
そのあと、中学三年生の時は生徒会長もやりました。
だから、できない子ではないんです( キリっとした表情で )。
(笑)。

高座での感じだと元気一杯だし、人付き合いも上手なイメージですが。

桂宮治

だって光のあるところには陰があるでしょ。
世の中全部そうですよ。
( 桂 )枝雀師匠はどうしてお亡くなりになったんですか?
あんなお元気そうな方でも陰はあるんですよ。僕は枝雀師匠と比べる程の人間ではございませんが、元気に明るく見える人にも何か抱えているものがあるんじゃないですかね、自分で言うのもなんだけど(笑)。これは軽く言えることじゃないですけど、学生時代の友達は僕が意外と自殺願望があるっていうのを知ってますね。
僕、意外と鬱になるような時があるので。

それは今もですか?

桂宮治

今はもう守るべきものもあるし、自分のことを一番理解してくれるカミさんがいるから。
本当にこんなことを普通の顔して言う大人の人ってバカじゃないの?って思うけど、
僕のことをものすごく理解してくれて全てを分かっているので、カミさんがいると生きていけるというか。
それに、そんなカミさんが命懸けで産んでくれた子供たちが三人いるので。
子供たちが成人するまではそんな責任放棄はできないので、必死にやるしかないからやってますけどね。

良き理解者がいるのと、背負うべきものがあると。

桂宮治

高座に上がると後はもうお客さんに本当に喜んでいただく。
それが好きなので、そこは一生懸命。それとは別問題で、でも結果全てがつながっているんですけどね。・子供の為と思って仕事する

・高座に上がるとお客さんに喜んで欲しいから、一生懸命やる

・お客さん増えて来る

・そしたら多少なりともお金が入って来る
・子供たちもいい暮らしができる今は最低限度こういう流れがいい感じで回ってくれているので、なんとかこれを維持できればなと。

落語家になる過程で僕は二回衝撃を受けてますね

枝雀師匠の名前が挙がりましたが、落語家になる決意を決めた程という、Youtubeで枝雀師匠の「上燗屋じょうかんや」に出会った時は、どんな衝撃だったのでしょうか?

桂宮治

めちゃくちゃスゴかったです!
枝雀師匠がすごすぎた。
映像って何十パーセントも演者のパワーが落ちるんです。
当たり前ですけどね、生で落語を目の前でやっているわけじゃないので。
それなのに観た時ってもう「すげーっ!!」ってなって「なんだこれっ!!」ってゲラゲラ笑って、十回観て十回大笑いしたんで。こんなおもしろいものがあるんだって思って。その時は生で観た方が落語はすごいっていう知識はもちろんないですよ。
なのに、こんなすごいものがあるんだとすごい衝撃受けたんで。
じゃあもうこれやるかって。

落語家になって、初めて自分が「上燗屋」を高座でかけた時ってどんな気持ちでしたか?

桂宮治

枝雀師匠の真似してるなって思いました(笑)。
なんか、これやるのに十一年かかったかっていうのと、よく十一年でやっちゃてるなっていう思いもあるし。いくら枝雀師匠の真似っていっても自分自身を出そうと思ってやっているので。
だから徐々に徐々に磨いていって枝雀師匠らしさみたいなのを削いでいって、自分らしい「上燗屋」ができれば二十年後、三十年後いいかなと思うので、一生やるでしょうね、あの噺は。
なにしろ本当に自分の人生を変えた落語家が枝雀師匠だし、その一席が「上燗屋」なんで。
今さらながら、自分の人生変える落語ってあるんですね(笑)。

桂宮治

それほどの衝撃なんですね。同じような衝撃はそれからはありましたか?

桂宮治

うちの師匠が国立演芸場に出てきた瞬間です。
その時、もう一瞬で分かるぐらい体に電気が走りました。
「あぁ絶対この人だ、この人しかいない!」って。まだ誰に弟子入りするかも何にも決めてない時に。だから落語家になる過程で、僕は二回衝撃を受けてますね。

他の落語家さんでも師匠を決める時にそんなことってあるんですか?

桂宮治

珍しいと思いますよ。
他の人に聞いてもそこまでっていうのは。
この人がいいな!はあると思うんですけど、僕の場合は、師匠が舞台の袖から出て来た瞬間ですからね。
まだ師匠の落語を一回も聴いてもいないのに。
「師匠選びも芸の内」と言われますけど、そこだけは僕は勝ち組ですね。
うちの師匠を選んだっていうのは。

桂宮治

初めての稽古の時って未だに覚えてますか?

桂宮治

うちの一門は全部最初の稽古は「子ほめ」からなんです。
うちの師匠に、家で稽古するから来なさいって言われて、着物来て行きました。
初稽古ですよ、まさにプロになる寸前ですね。それで、うちの師匠が僕に教えるために「子ほめ」を始めてくれて、「こんちはー」
「おう、どうした八っつあんかい」「今、横丁の・・・ちょっと待って宮治、うーん、えっとね思い出せない」って。「思い出せないんかい」って(笑)。

あはは(笑)。

桂宮治

初めての弟子取って稽古思い出せないって。
でも、これがプロの稽古なのかって思いました。
だって知らないから。
それで、「う〜ん、大師匠のテープで覚えてきて」って(笑)。
だから人生初めての稽古は大師匠のテープですからね(笑)。
あとで見てあげるから覚えてきてって、雑すぎるでしょ師匠つって(笑)。
それが可愛いんですよ。

桂宮治

口伝だから、まず普通は口で教えるんじゃないんですか?

桂宮治

そうですけど、そんなこともあるよっていう(笑)。
他にも一本すらすらっとやってくれた噺は無いですからうちの師匠は。
後日会った時に、あんなくすぐり( 噺に入れる笑いのこと )もあったから入れといてっていうこともあったり。
だから僕みたいなのが出来上がるんじゃないですか。
でも僕に困ったことがあると間に入って助けてくれたりとか、うちの師匠は鉄火なんで「俺の弟子になんか文句あんのか」って言ってくれる人なので、信頼はできますよね。
ほんとに守ってくれるというか、息子として一番弟子としてきちんと可愛がってくれているので、感謝ですよねうちの師匠には。

登場人物の気持ちを大事にする

落語家になる前にされていた化粧品の営業経験って、落語にも活かされていますか?

桂宮治

活かされているかどうかは自分では分かりませんけど、営業時代のクセはあるのかもなと思います。
営業は相手と1対1ではなく、量販店とかにお客さんを50人ぐらいいっぺんに集めてサンプルを配りながらっていう多数を相手にした営業だったんですけど、お客さんの気持ちがちょっとでもつまらないと思われたら終わりだったので。だから、少しでも笑いを入れたくなってしまいますね。例えば、落語でいうオウム返し( 前者が正しく事を行い、これを見ていた後者が同じ事を真似をして失敗すること )っていう一番有名な滑稽噺だと、フリがあって落ちがあるんですけど、フリの部分は丁寧にやっていって別に笑いなんてなくていいんです。
でも僕はそこでも笑いが欲しくなっちゃう。合間に細かいくすぐり入れて、どんどん笑いを増幅させていきたいなっていうのは無意識にやっちゃうクセですかね。

桂宮治

営業のセールストークって早いと思うんですが、落語される時に話すスピードは稽古でゆっくりしていくんですか?

桂宮治

僕の場合は何の意識もしないですね。
自分の気持ちいい速度で話します。自分の今までの環境、営業時代も含めて今日はこういうお客さんだからこういう速度で反応が返って来て、これぐらいの速度まで落とさなくちゃいけないんだっていうのが無意識でできるんだと思います。ただ、怪談噺や人情噺をやる時は、またこれも無意識でこの登場人物はこうだなってやってると勝手に速度が遅くなっているんですよね。
人情噺で早口になる登場人物って多分気持ちがその速度では喋んないはずだから。
僕は登場人物の気持ちを大事にするので、台詞より。
その気持ちになって喋っていると、必然的に遅くなっているなと思うんです。

丁寧にってことですよね?

桂宮治

自分にとって登場人物にとって丁寧にやってたりとか、自分の気持ちをもっと喋りたくて喋っちゃうと長くなっちゃったりとかすることは、人情噺や怪談噺にはそういう傾向が多いですね。
全部を言いたくなっちゃうので。
早口で喋るってことは僕はその噺には合ってると思うから早く喋るわけだし。

桂宮治

なるほど。

桂宮治

他にも、二ツ目に成り立てで「大工調べ」( 大工の与太郎が、大家に家賃滞納のカタとして仕事道具を取り上げられ、棟梁がそれを取り返す為に人肌脱ぐ噺 )
の啖呵を喋ってた時と、今の自分の「大工調べ」の啖呵は明らかに速度が違って、それに最近気付いたんです。

どう違うんですか?

桂宮治

二ツ目に成り立てで「大工調べ」をやっていた時は、棟梁の中にある大家に対する感情を何も考えずに、ただ言い立て( 一連の定まった長セリフのこと )を喋ってたんです。それが今は、ただ言い立てを喋るんじゃなくて、言い立ての中でもきちんと止めて、噛み砕いてゆっくり言うけど、またこうだろう!ってなるという抑揚の付け方とか、言い立ての中にも怒りの感情があるっていうのをできるようになったのは最近ですよね。そうするとお客さんからも中手( 拍手のこと )がただの中手じゃなく、「おぉ〜っ!!」ていう風にお客さんにの感じ方も変わってくるんですよね。

その気付きって高座の最中に気付くんですか?

桂宮治

そうですね。
言い立てなんだけど感情に乗っけて喋るからこっちの方がいいやってなってるんですよね。
それはやっぱやってる内にですよね。だから自分で余裕が出てくるんですよね、ただ言い合いをしているんじゃなくて、その中で登場人物の気持ちが動いて来て、違う台詞も出て来るからこそ感情が湧き上がってきてっていう。これが、そうじゃない落語の作り方をしている人もいるし、僕はそういう人なので。
僕のやり方としては今このやり方が主流なので、喋っていくうちにどんどん台詞が増えていったり、嫌なこと言ったり、いいこと言ったり、そういうのでまたお互いの気持ちがどんどん揺れていってそれに合わせて感情に台詞が乗ってくるっていう。
やってて楽しく、また冷静な部分もあるんですよ。
棟梁が気持ち乗っけて喋るんだけど冷静に「あっすごい、棟梁こんな気持ちで喋るんだ」みたいな自分がいるのがおもしろいんですけど、やってるときに。

みなさんに申し訳ないけど、みなさん方の人生の500倍幸せなんですいません、本当に(笑)

桂宮治

「成金」( 落語芸術協会所属の二ツ目落語家、講談師の総勢11名によるユニット )のメンバーもどんどん真打ちに上がっていってますが、宮治さんはどんな真打ちになりたいとかありますか?

桂宮治

何も無いですよ。
別に今のままで、その日高座に上がった人数の内、なんとなくお客さんの印象に残って、一番お客さんに喜んでもらおうってスタンスは変えないので。
最終目標はもう決まってて、うちの師匠みたいな人になること。
寄席に行って、楽屋でずっとニコニコしてて後輩イジったり、先輩のことツッコんだり、人の嫌なことはしない。
それで、高座に上がったら楽しい噺して、下りてったら家族と楽しく仲良く過ごす。うちの師匠もご家族と普段から仲良くされているので。そんなことができる世界に入れたことに感謝しているので、先代の方々がこの芸能をずっと続けて来てくれて、今それに入ることができてこんな幸せなことはないですよ。
もちろん辛いこともありますよ、でも普通の業界方では味わえないようなことが多いですね。
入ったタイミングだったりもするので、噺家全員がそうではないと思いますけど、僕の場合は「成金」メンバーとも出会えたし、年齢が20代( 今は30代 )から40代まで全然年齢が違うのに、まぁ年齢なんか一回り以上違う奴らの集まりだけど、死ぬまで本当の仲間なんでね。
あんな人たちと出会えたこともそうだし、うちの師匠に出会えたこともそうだし。
バカみたいにずっとゲラゲラ笑ってられて幸せでしかないですもん。
みなさんに申し訳ないけど、みなさん方の人生の500倍幸せなんですいません、本当に(笑)。

そこまで言い切れるぐらいなんですね(笑)。

桂宮治

成金メンバーだけで地方に仕事行っても、集合した新幹線のホームから、帰りの新幹線降りて、飲みに行って記憶無くなって別れるまで、ずーっと笑ってますからね。
ケンカもしないで。
ウヒャヒャっヒャっヒャって(笑)。
ほんとバカみたいなんですけどね、全然嫌な奴いないし、ずーっと楽しいですよ!

桂宮治

「成金」の関係性って、別で組んでられる「we」( 東西落語ユニット )とはまた違うんですか?

桂宮治

全然違いますね。
同じ釜の飯も食ったし、苦楽も共にしたし、成金の中でも前座時代はつるんだり、つるまなかったりで、みんな色々あったんですよね。
それが成金作った瞬間にみんなギュッっと1グループとなって。あいつにはアレがあるけど、俺にはコレがないなっていうのがみんなお互いに分かってて、それを高座の上で毎週競い合いながら、みんながスキルを上げることができていけたっていうそれが分かっているんで。「we」は東京vs大阪のどっちが面白いかを本気で競いあえる仲間で、「成金」で培った力を対外試合で試している感覚ですかね。

「成金」は切磋琢磨して来た仲間だということですね。

桂宮治

家族ではないけど親友以上であり、メンバーみんながそう想ってるか分かんないけど、成金には想いがあるんじゃないですかね。
多分、みんな棺桶入る時には笑いながら泣くんじゃないですかね、あの仲間に関していえば。誰が死んでも。それぐらいですよね、恥ずかしくなくはっきり言えますからね。かと言って、別に僕はプライベートで電話をしたり相談したりは一切しないので。
すごいドライなんですよ。
だからみんなも僕のことそう思っているだろうし。
でもみんなで集まって会議の時には意見聞いてくれるし、「僕こうだと思いまーす」っていうと、みんな「( 納得の )あぁ〜」って言ってくれるし。そこは香盤関係なく信頼関係で成り立っているというか。みんながみんな尊重しあいながらやっているあんなグループに出会えて、あのタイミングで入ったからこそですからね。
幸せなグループを作れましたよね。

では、真打ちになるまでに特にやりたいことはありますか?

桂宮治

これも特には無いですね。
あえてなにかって言うよりか、自分の場合は今の自分の状況をどれだけ維持できるかってことなんですよ。
噺家なんて山ほどいますし、その中で自分、「桂宮治」という噺家がどれだけお客さんに欲され続けるのか。もしかすると、これから先ダメになるかもしれないし(笑)、分かんないですからね。ほんと一日一日やるだけで、真打ちになったから偉いとかもなく、真打ちになったから劇的に落語がおもしろくなるってそんなことはないですよ。
やっぱおもしろくなかったらお客さんは絶対に離れていくわけで。

そうですね。

桂宮治

だから毎回高座に上がったら目の前にいるお客さんにどれだけ楽しんでもらえるか。うちの師匠の教えで「その日の一番になれるような努力をする」。
それを続けていけば、なんとか食べていけると思うし、なんとかこの世界に少なからず残れると思うんですよ。
大きなことをやりたいとか、僕がこれが目標なんですって言うよりは、今までやってきたことを真打ちになったからといって手を抜かずにずーっと死ぬまでやり続けることができるかなって、そこだと思うんですよね。
そしたら自ずともっともっと上にいけるんじゃないかなと思います。

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