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柳家三三

「 気楽に考えるようになって"楽"になった 」

  • インタビュー・編集:藤井崇史 / 撮影:武藤奈緒美

公開日:

柳家三三

柳家三三(やなぎやさんざ)

1974年7月4日生まれ
出身地 神奈川県小田原市

【芸歴】
1993年3月 柳家小三治に入門
同年5月 楽屋入り 前座名「小多け」
同年10月 初高座(末広亭・「道灌」)
1996年5月 二ツ目昇進「三三」と改名
2006年3月 真打昇進

【受賞歴】
1999年 2月 第9回北とぴあ 若手落語競演会「大賞」受賞
2002年5月 平成13年度にっかん飛切落語会 若手落語家「努力賞」受賞
2003年5月 平成14年度にっかん飛切落語会 若手落語家「奨励賞」受賞
2004年5月 平成15年度にっかん飛切落語会 若手落語家「大賞」受賞
2005年3月 平成16年度花形演芸大賞「銀賞」受賞
2005年5月 平成16年度にっかん飛切落語会 若手落語家「奨励賞」受賞
2006年5月 平成17年度にっかん飛切落語会 若手落語家「奨励賞」受賞
2006年5月 林家彦六賞受賞
2007年12月 平成19年度(第62回)文化庁芸術祭大衆芸能部門「新人賞」受賞
2008年3月 平成19年度「彩の国落語大賞」受賞
2009年4月 平成20年度「花形演芸大賞・金賞」受賞
2009年10月 第58回 神奈川文化賞未来賞<芸能>部門 受賞
2010年4月 平成21年度「花形演芸大賞・大賞」受賞
2016年3月 平成27年度(第66回)文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)受賞


柳家三三オフィシャルサイト

本年50歳を迎え、芸歴も31年目となった柳家三三。
30代の後半に考え過ぎて、高座に上がるのも辛かった時期もあるが、その解決により軸足が定まる。
そして、気楽になった現在の境地。

「富士山の上からお前ん家見てたよ」って言われたような気持ちでしたね

三三さんは、大の甘党としても知られていると思いますが、いつから甘い物がお好きになりましたか?

柳家三三

子どもの頃からですね。
小学校の高学年になると、和菓子というか、あんこなんかも好きになって。

今はどんな種類がお好きなんですか?

柳家三三

何でも食べますね。
お酒が弱いから、普通の人がお酒を飲む代わりに、ついつい甘い物を食べるみたいな。
甘い物だけじゃなくて、そもそも食べ物で嫌いな物が無いんですよ。

柳家三三

健康法として、柔軟体操は今でもされているんですか?

柳家三三

今は柔軟体操よりも、ただ歩くだけの方が多いですね。

歩くのは日課に近い感じですか?

柳家三三

日課というか、そんなにちゃんとした感じではないんですけど。
東京って歩いてみると意外と近いんで、寄席だと、上野と浅草間を歩いたり、池袋と新宿間だとか。

歩くのを始めたことでの、それまでとの体調の変化とかは感じますか?

柳家三三

代謝が良くなったっていうのはありますね。
おかげで汗をかくように。
元々運動をするのは苦手なんですけど、柔軟体操をやるようになってからも肩凝りが解消したとかはあるんで、ちょこっと体を動かす程度はいいかなと思います。

音楽に全く興味のない少年時代を過ごしたけど、唯一夢中になったのが「THE BLUE HEARTS」だそうで、どんなところに惹かれたんですか?
( THE BLUE HEARTS:1985年に結成し、1987年メジャーデビュー。1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し1995年に解散。 )

柳家三三

なんでしょうね、理由とかは考えたことも無いですね。
とにかく好きになっちゃったもんね。

「THE BLUE HEARTS」を知ったきっかけは何だったんですか?

柳家三三

中学三年生の時に、ドラマ「はいすくーる落書」の主題歌が「TRAIN-TRAIN」で、それが耳に残って聴くようになりました。

柳家三三

それから時を経て、「YEBISU亭」で真島さん( 真島昌利 / 元THE BLUE HEARTSのメンバーで、現ザ・クロマニヨンズ )と、初めてお会いされたんですよね?

柳家三三

その時のゲストが真島さんだったんです。
真島さんが落語好きだというのを僕は全然知らなかったんですけど、初めてお会いした時に「三三の落語もちょくちょく聴いてるよ」と言われて。

すごく嬉しいですよね。

柳家三三

落語で説明すると、『二人旅』で「富士山に登ったことがあるって、じゃあ、俺ん家見えたか?」「見えるわけねぇ」「だって俺ん家からは富士の山はよく見える。 お前、富士山に登って俺ん家が見えないっていうのは、それは富士山へ登ったってのは嘘だ」というのがあるんですけど、小さい所から、大きい所はよく見えるのに、それが逆だと見えにくいはずなのに、「富士山の上からお前ん家見てたよ」って言われたような気持ちでしたね。

なんで適当に喋った方がウケがいいんだよ!

2006年の真打昇進時の東京かわら版のインタビューでおっしゃってましたが、好きな噺は「つるつる」や「三年目」などの ” せつない噺 ” だそうですが、これはいつ頃からですか?
失われた時間は取り返しがつかないけど、なんとかしたい、というもどかしさに苦しむ状態がたまらないと。

柳家三三

当時はそうですね。
ただ、今は好きな噺っていうのを考えなくもなったのかな。
その噺を喋るってことはおもしろいと思っているんで、本当に優劣が無いし、無くそうと意識しているのかはよく分からないけど、そういう感じですよね。

テレビの「情熱大陸」(2010年12月放送) に出演された時に、小三治師匠が三三さんの落語を観て「安らがない」とおっしゃっていましたが、その意味が分かるかもしれないと思い始めたのはどんなきっかけからですか?

柳家三三

落語会でも、寄席に来ている人と、ホール落語に来ている人と、独演会に来ている人とで、なんとなく求めているものが違いますよね。
それが、僕は常に全力で120%ぐらいどこの高座でも努めるつもりでやっていたのが、寄席でこれをやっても今は必要ないんだっていうのに気が付いて。

柳家三三

寄席だと流れとかもあるからですよね。

柳家三三

寄席は、ホール落語や独演会と違って、毎日そう一生懸命喋れないじゃないですか。
常に自分の中では120%が心情だけど、ごめん今日は120%は無理だわって、70%ぐらいで適当に喋ったら「なんで適当に喋った方がウケがいいんだよ!」って思いましたね。

それは驚きますよね。

柳家三三

「えっ! そういうものなの」って。
それから、調整しながら、これぐらいでどうってやっていくと、あぁそっか、寄席では出番とか、前の人の流れによって変えないといけないのに、常にベストのパフォーマンスで120%やるのは、それは周りから浮くわと(笑)。

その感じはやっていく中で気付いたんですか?

柳家三三

あれこれ試行錯誤してとか苦労してではないけど、やっていく内に肌感覚で覚えていくみたいな感じですね。
それぞれが自分なりの方法論だったりを経験しながら持ってるんだっていうのは思います。

三三さんの場合はどういう方法だったりするんですか?

柳家三三

自分の中の経験で言えば、寄席で毎日色んな人を見てるから、ちょこっと真似することがあるんですよ。
同じことを同じ強さで言うんだけど、(柳家)権太楼師匠の真似をして、顔を傾けただけで「おぉ!」って本当に違うんですよ。
あと、僕はいつも綺麗に聴き取りやすく喋るんですけど、わざと辿々しく喋ったり、滑舌を悪くしてみたり、つっかえてみたりとか。
それは(柳家)喜多八兄貴の真似かな。
そうした方が効果的にお客さんが好意を持って観てくれるっていう経験もあるので。

綺麗にやるだけが全てじゃないみたいなことですよね。

柳家三三

今も毎日色んな事を適当に試したりしながらですね。
高座で自分が笑うのは無しっていうか、そんなみっともないことは無いって言うじゃないですか。
お客さんに笑ってもらうのに、自分が笑うってのは。
だけど、最近それもちょいちょい試してやってみるとかっていうのはあります。そんなことをしている内に、歳を取って死ぬんじゃないですか(笑)。前は、どこに行き着かなきゃいけないとか、目指すべき ” 厳の頂 ” みたいなのがあったんですけど、そういう感覚が今は特にないんで。

剛より柔になったみたいなことですよね。

柳家三三

そこに行ったか行かないかは別にして、行った錯覚を起こす可能性もあるじゃないですか。
それに、着いたって思ったらまずいじゃないですか、出来たって思ったら。
出来たって思わないようにまだまだって思うんじゃなくて、どこにもねぇって思って(笑)。
そうすると、勘違いする心配がない(笑)。楽に楽に。

柳家三三

勘違いしそうになったことはあるんですか?

柳家三三

到達したまではないけど、結構いいとこまで来てるんじゃないっていう感覚に陥ったことは、どうだろう。
でも、だいたい「おっ!」って思っても、そこから後はおもしろくないっていうか、楽しくない期間は長く続くんで。
その楽しいは一瞬なんです。
芸が上達するって言いますが、そういうものがあるとしたら、徐々に上がっていくんじゃなくて、ほとんどの時間が停滞なんですよ。

それはどんなきっかけで上がったみたいになるんですか?

柳家三三

ある時、何だか分からないけど、ふっとそこから一段上がるんです。
その瞬間はいつ来るか分からない。
ほんと何年も来なくて、ある日急にとか。
「えっ、なんで?」って。
昨日までは出来てなかったというか、こんな感じではなかったのに。

その状態はそこから持続するんですか?

柳家三三

しばらくはですね。
しばらくって言っても何日間ですけど、もう ” 無敵 ” ですよ(笑)。
まるで、マリオがスターを取って死なない状態みたいな(笑)。

お客さんの裏をかかなくても、おもしろいと思えるようになった

自分の一番嫌いな癖が「笑う様なセリフを言った後に、目だけは客席を見ちゃう」そうですが、それについて、小三治師匠から小言を言われたりはなかったんですか?

柳家三三

その癖については別に言われたことは無かったですけど、ただ、いわゆる「笑わそうとしにいく」という事については言われました。
はっきり言えば、「笑わそうとしにいかない方が逆にお客さんに笑ってもらうのがいいよ」っていう事なんだけど、言い方を間違えちゃうと、なんかお客さんが笑うことに駄目だみたいな事とは違うんです。
うちの師匠が言わんとする事と、自分の嫌いな癖とはある意味合致してるような感じでしょうね。

でも、TOKIOの国分太一さんに映画「しゃべれども しゃべれども」で落語の指導をした際に、最後の日に「三三さんはおもしろいことを言おうとする時、顔に力が入ります。 それが抜けるようになるともっと良くなると思います」と言われたそうですが、国分さんには見抜かれていたということですね。

柳家三三

いやぁ、だってそらそうでしょ。
あれだけ大舞台とか、長年アイドルとして活躍している人が、同い年ではあっても僕よりも色んな経験してるし、テレビとかでも色んな人と関わりあってるわけで、そういう場でどうすればいいかっていうのは、僕なんかよりよっぽどノウハウは持っていると思います。
でも、言われた時は有難かったし、今でもよく思い出しますね、その言葉は。

柳家三三

「落語家という生き方」の本の中で、「落語を聴く人が、あたかも自分が噺の世界の片隅に存在しているように錯覚する。 噺家の言葉はそのきっかけにすぎない」という、この軸足が定まったのが、2012年1月の出来事とありましたが、どんな出来事があったんですか?

柳家三三

その前の何年かは調子が良かったというか、自分が持っている実力以上の扱いをしてもらうというか、色んな落語会に出たり、あるいは多くの独演会の依頼だったりで。でも、そうすると早い話、ずっと同じだと変じゃないですか。その時になんでしょうね、やっぱり常にいつも新しい事をやんなくちゃ、他と違う事をやんなくちゃって風にやってくんですけど、その内、段々段々お客さんが全員、落語って元々みんなが知っている噺なんで、「どうせこの次はこういう展開があって、こういうオチなんでしょ」って聴いてるんじゃないかって見えてきてしまって。

被害妄想というか、先入観みたいな感じですよね。

柳家三三

常にそれを裏切らなきゃいけない、いわゆる標準的な、どうせこう来るんだろうというセリフの裏を常にかかなきゃいけないっていう風に。
最初の内はいいんですけど、それをずっとやってると、引き出しは枯渇して袋小路になるわけですよ。
人によっては程度の違いはあれど、それで押し切れるんでしょうけど、そこまでの容量や蓄えは無いから。

その状態だと、追い詰められていきますよね。

柳家三三

それで、どんどん追い詰められて、高座に上がって落語を喋るのがキツイって状態でしたね。
もうやだな、落語するのが辛いなっていうのが今迄で一回だけその時期があったんです。

柳家三三

そこから、どうやって抜け出されたんですか?

柳家三三

そんな時にたまたま、うちの師匠と、(桂)歌丸師匠と私の三人で旅をする九州の会があって、その最終日に楽屋でうちの師匠と二人きりになった時に、別にその状態を見抜いていたかどうかは分かりませんけど、うちの師匠の中で自分に言い聞かせるように、「落語って何がおもしろいのかなぁ」って。
さらに「(五代目 柳家)小さんが初めてやるように新鮮にって言うんだけど、それを聴いている人にもいつも新鮮でって言っても、いつも違うことを言うってのは難しいしなぁ」って。

正にその頃の悩みそのものですよね。

柳家三三

だから分かりやすく言うと、演じる噺家は、この噺はこの先どうなるかが分かってて、聴いてるお客さんも分かってるわけ。
だって、みんながやってる古い噺なんだから。
「噺の中に出て来る登場人物だけが、この先どうなるかを知らない状態でいればそれでいいんじゃない」っていう話をしたのかな。
その時に「あぁ、そっか、いつも言葉を変えなきゃとか、ギャグを新しい物にしなきゃとか、お客さんが思っている予想を裏切らなきゃって目先を変えるんじゃなくていいんだ」って思いました。

あからさまな違いを出すとかではなくて、新鮮さの矛先を変えるってことですよね。

柳家三三

今までたくさんの人がその噺を喋ってはいるんだけど、” 自分が話す度に、噺の中の登場人物が、初めてその場面に遭遇するんだよな ” って。
また同じ場面をやるっていうんじゃなくて、中の登場人物だけが初めてその場面に遭遇して、「うわぁ、どうしよう」って何て言おうとか、どう行動しようというのをやってれば、いつも新鮮なリアクションだから、それは観てておもしろいんだなって思いました。

登場人物が毎回初めての気持ちになるってことですね。

柳家三三

それを自分の中でこういう例えだなって思ったのは、テレビでやっている「どっきりカメラ」です。
どっきりの主義が良くないから、僕はそんなに好きではないですけど。
落語家はどっきりの仕掛け人、テレビで観ている人が寄席のお客さん、どっきりを受ける芸能人が落語の中の登場人物って思えば、みんなは仕掛け人も、どっきりの仕掛けも知っているわけですよね。
どうせ恐い人が出て来て驚かすとか。
どっきりを受ける芸能人が、恐い人が出て来るというのを知っててリアクションを取ってたら絶対おもしろくないじゃないですか。

何が起こるのかが、分かってしまっているからですよね。

柳家三三

何も知らずにやっているから、その場のリアクションとしておもしろいわけで。
だから、噺の登場人物もそんな状態でいればいいんだっていう風に考えて。
お客さんが、だからどうせこうなるんだろうっていう時に、いや、裏をかきますって足掻いてたものが、どうせ次こうなるんだろう、どうせこう言うんだろっていう事に対して、 ” あっ、そうです ” っていう感じになりました。
どうせこう言うんですよって。
「だけど、それおもしろいじゃないですか」 って思えるようになったのかな。

柳家三三

また、同本の中で、落語の魅力は、子どもの頃「落語って楽しい」と思った瞬間の気持ちそのままだとおっしゃっています。

柳家三三

それは、さっき言った落語の世界があって、そこで起きている出来事を自分が同じ空間で、でも登場人物になってとかではなくて、そこで起きていることに同じ空間で片隅で見守っている。
落語の筋には全く干渉しない。自分がそこに出ていって、タイムマシーンで過去に戻ると未来が変わっちゃうのと同じように、自分がそこに関わると変わっちゃうから、自分はその世界の出来事に関して一切かかわらない。でも、その空間に居て見守ってる感じが、初めて落語を聴いた時におもしろいと思った感覚だったんですね。
それを大事にするようになりました。

落語の世界の空間で、見守っている感じが楽しいとなったんですね。

柳家三三

それはきっと、その目の前で起きている出来事がきっと新鮮でおもしろいっていうか、どうなるのかって自分もハラハラして観てるからおもしろかったんでしょうけど、そのあとに自分がどうなるのかって分かっていても存在して観てれば、その人たちがまたやってることが初めてで「わぁ!」って新鮮に生きてるから、きっとおもしろいんだと思うんですよ。だから今はお客さんにウケる云々とかを第一にしちゃうと、ちょっと自分の顔に力が入った感じになっちゃうから、子どもの頃の自分が喜んでおもしろいと思う落語になっていれば、ま、それでいいんじゃないっていう程度ですけどね。

真面目に見られがちだが、そうではない

小三治師匠から噺は直接教わらなかったけど、「落語家としての生き様を見せてもらったことに勝る教えはない」とおっしゃっていて、どんな生き様だったと感じましたか?

柳家三三

多分、みんなが見てた通りの小三治像だと思うんですよ。

年齢を重ねていくことで、見え方とかも変わっていったと思うんですが。

柳家三三

僕が入門してちょっとした頃の、六十歳を過ぎたぐらいから割と、( 十代目 金原亭 )馬生師匠が「何でもいいんだよ」って言っていた事に対して、今はすごくよく分かるっていうような言い方をするようになって。
昔はこうでなければ、弟子もこう育てなければって思ってたけど、「あれも有り、これも有り」で、「どうでもいいんじゃなくて、何でもいい」って。
どうでもいいだと投げやりになっちゃうから。

柳家三三

小三治師匠はよく「同じ噺を同じようにしてちゃいけない」とおっしゃっていたそうですが、これについても、毎日進化するっていう事と、それってどうなんだろうっていうせめぎ合いだったのが、「ただ変化すればいい」という解釈で、腑に落ちたそうですね。

柳家三三

うちの師匠はやっぱり真面目な人だから、常に芸が高みにっていうか、いつも昨日より今日、今日より明日、もっと良くなるはずだって思いながらですけど。それも有りだなと思うんですけど、でも、資本主義( 個人が自由に土地やお金・道具などの資本を持ち、商売できる仕組み )の経済と一緒で、ずっと右肩上がりで居続けることは考えなくていいんじゃないかって。同じことを全く新鮮味もなくただ惰性で続けるようなことじゃなければ、「昨日より今日、今日より明日ではなくて、昨日と今日が違って、今日と明日が違って」ぐらいで、変わっていればいいんじゃないって感じですね。
常にこうとかでなくても、違うんだけど、別に進歩してなくてもいいんじゃないかって。

だから、YouTubeの「突撃!ヨネスケちゃんねる」でおっしゃっていた、他と比べたり、毎日進歩するんだみたいなことよりも、自分が毎日楽しければいいかと、気楽に思うようになり、軽くなったってことですよね?

柳家三三

そうですね。
そうしないと、ついつい突き詰めて考えてる風にというか、真面目に見られがちなので(笑)。

そう見えると思います。

柳家三三

外からだと僕は、賢い人だとか、ちゃんとしてる人に見えるらしいので。
実際は全くとんでもないんですよ(笑)。
分かりやすく言うと、新学期のクラス替えで、最初ってみんなどんな子なのか分からない状態なんですけど、とりあえず学級委員を選ばないといけない時に、なぜか選ばれるんですよ(笑)。

いつもクラス替えをした時はそうだったんですか?

柳家三三

なんか知らないけど、ずっとそうですね。
でも、二学期、三学期には選ばれないんです。
違うなって、あいつじゃないなって(笑)。

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